退職後のまとまった時間を写真の整理にあてる。40年以上前の学生時代、ネガティブフィルムではなく、スライド用のポジティブフィルム(富士クロームフィルム・リバーサルフィルムともいう)に凝っていたことがあった。映写機のいるスライド写真など見る機会もなく長いことほったらかしだった。それがいまよみがえりあのころのおろかな二十歳の自分やろくでなしの友たちにであうことができた。
同じクラス1Gの貧乏学生たちでリュックとテントを背負い、夏の能登半島を楽しんだ。ベルボトムのジーンズ、俺たちの旅ふうの髪型、、、
プリントしてなかったため、撮影後目にすることもなく引き出しの奥にしまったままとなっていたのを、大阪船場のスマイル・シェアリング㈱さんの無料キャンペーンを利用し高解像度でデータ化してもらった。
青臭さが照れくさい。そして大人になったいまの娘の顔立ちの中に20歳の自分の面影があるのに気付いた。家族の病気のこと、3年後に結婚することになる妻のこと、ろくに勉強もせず無為に過ごしていたころのことを思い出す。
名古屋出身の二人。「なにいっとるだぁ!」「~やっとるでいかんわぁ」名古屋弁が飛び交う。九十九湾のキャンプ場。潜ってさざえをたくさん獲ってつぼ焼きにしたが、もういまでは漁協との関係でそんなことはできない。
学生時代の友人がいいのはお互い弱みをもっていること。殺し文句、脅し、ゆすり、奥さんにばらす、などの締め技、必殺技がいまだ有効でそれをその奥さんの前でちらつかせながら酒を飲むのがなによりのつまみとなるが、ひとたび使ってしまうと効き目がなくなるため、使えないのが難点だ。
横浜に来てはじめてできたガールフレンド(右)。聖子ちゃんカットがほほえましい。家庭教師していた子のお父さんのクラウンを借りてはじめて軽井沢にでかけた。彼女のうちは紀州鉄道のリゾートマンションの会員だったので格安に泊まれて、あこがれの別荘暮らしごっこ、青春ドラマごっこしていたのだった。