もう浅草は観光地としてどうしようもなくなっている

2020年1月19日日曜日

ごらんのとおり、浅草寺雷門と仲見世は身動きができず、前に進めない状態。

間違いなく外国人の割合が圧倒的に高い。もう、立ち寄るべき場所ではないのではないか。この人ごみの中を分け入ってまで観光したいとはとても思えない。


本日は東京シティーガイドのガイド養成講座がこの雷門を見下ろす浅草文化観光センターで開講された。

研修会の目的は「広重と名所江戸百景に関する基礎知識」を学ぶことにあって、浮世絵の歴史、古地図の見方、「名所江戸百景」に描かれた場所を実際にガイドするコース組み、などガイドにとって必要なきわめて実践的な研修であった。

「古地図」とは

1849年(宝暦5年)以降制作された江戸の地図のことで、

東西南北が地図によりまちまちであることからまず方位を確認したうえで、大名屋敷、寺院、町屋、などを見ていくことになる。

白地が大名屋敷(1万石以上を大名といい江戸滞在中の屋敷・280人ほど)

大名家の家紋のついたところが出入口を示し、門に向かって大名家の名前が記されている。

が中屋敷(おじいさんたちが住むところ)、〇が下屋敷(主に領地の産物の倉庫として使用)


切絵図は下町グループである我々のツアー組の必須アイテムで、切絵図めぐりのルートを決めてルート上の広重の描いた作品を紹介しながらガイドしていくことになる。

池波正太郎の時代小説とこの古地図とのかかわり、南町奉行所が現在の有楽町駅そばにあったこと、安藤広重(本姓)の名称が平成4年以降歌川広重に統一されていること、広重の浮世絵にいたく傾倒したアメリカ人ハッパ―が自分の墓は広重の墓の隣にしてほしいと遺言に残していたこと、萩美術館に広重の版画が収蔵されており鑑賞できることなど興味深い説明もあった。

ガイドとして広重、北斎、長谷川雪舟の3人が重要である。

残念なことに3月の実際にガイドをするトライアル研修に仕事の関係で参加できない。


街歩きの道しるべ 広重 名所江戸百景 平凡社

絵の解説 なぞとき広重 「江戸百景」 集英社

東京最古の地下鉄「銀座線」の地下街はなんともたまらんレトロ感


自分がうらぶれているせいかしっとりくる。

焼きそばを焼くおじさんの横の壁には「就寝厳禁」とある。

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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