なにもゆきぽよを紹介しようとしているわけではない。
この雑誌はいまの教育制度のあり方に本気で問題提起をしているのだがまずなにより読者の目に留まるために、目をくぎ付けするためにゆきぽよのぽよぽよ網タイツ姿が必要と判断したのだと思われる。
「高橋かなみ」も降臨させないといけない事情もあるようだ。
(ノ・ω・)だけど、おおまじめなのだ。
雑誌は「週刊新潮」や「週刊文春」だけではない。
記事の中で気になったのが
①いまの大学生の約半数が奨学金を利用している
②日本学生機構の90年代半ばの利用率は20%だったのが25年ほどで2倍以上になっている
③貸与型の返済期間は23歳から長ければ20年も続き、延滞金の利率は5%(2014年までは10%)
そして、
④国立大学の平均授業料は1975年に3万6千円だったのが2015年には53万5800円にまで10倍以上に上がっている
⑤私立大学も同じ期間に18万2677円から86万8447円と4倍以上になっている
⑥親の年収は同じ期間に2倍程度しか伸びていない
⑦奨学金の返済率は95~96%と国際平均から突出して高い
親ガチャの話ではなく大学生をもつ一般的な親たちのボリュームゾーン(年収380万円~600万円程度)の子弟のことだ。
貧困層は救うが中間層は奨学金をもらいながら安月給でもなんとかやりくりして大学に通わせろということらしい。
奨学金の美名のもとに就職も決まってない18歳の若者の「入り口は立派な奨学事業なのに、出口は金融の論理で厳しく取り立てる」(聖学院大学講師柴田氏)現状を憂えている。
2017年に「給付型奨学金」の実現に向けた法改正はあったもののこんなことが起きていた。そしてコロナ渦。収入を閉ざされた若者たちがいる。
そして、こうもいう。
⑧国立の年間の授業料が1万2千円だった70代前後の人たちには「学費なんてバイトすりゃ簡単に払えるだろ」という感覚が抜けていない(中央大学大内裕和教授)
高校の現代社会の授業で教師が当時の大学の学費値上げの動きを憂慮し生徒に訴えた。
「なぜ、学生たちが値上げに反対しているかわかるか、自分たちのためじゃない、これから入学するお前たちのために反対しているんだ」と。
自分さえよければいいという思いを砕く教科書に載っていない言葉は18才の心にしみた。
自身も公立だったこともあって入学金は4万円、年間の授業料は1万5千円だった。5千円を3回にわけて納入する。
入学当時、他の大学同様学内では学費の値上げを強行する横浜市について糾弾する動きが激しかった。
そんなおいらでさえどこか心の片隅で「学費なんてバイトすりゃ簡単に払えるだろ」という意識が抜けないでいる。
先輩から引き継いだ家庭教師や塾の教師、小学校の泊まり込みの夜警(木刀がおいてあったがけっして戦ってはいけないと申し渡されていた☆*: .。. o(≧▽≦)o .。.:*☆)、戸塚にあった山崎製パンの工場で柏餅をひたすらひっくり返すだけの深夜製造ライン、横浜高島屋の社員食堂の厨房での皿洗いと定食の盛り付け(大学と違い美人のデパガばかりだった、、、)、お中元やお歳暮の配送センターでのアルバイトはやろうと思えば好きなだけいつでもできた。
でも、それは長野にスキーにいくためであったり、渋谷や新宿で飲んだりするためであって授業料に苦しんでというわけではなかった。
いまの若者たちのアルバイトには大学生でいられるかどうかの「学費」が重くのしかかっている。
いまの大学生のおかれている厳しい現実はここまでかと知る。
わたしたちとてとても豊かな学生生活をしてきたとはいいがたい。学生食堂の肉なしカレーやちょうど登場したカップヌードルやペヤング焼きそば、おかずのコロッケで過ごしてきたがそれはそれで楽しかったし、弊衣破帽をむしろ誇るような気風もあった。
けれどいまの大学生はちがう。大学生であり続けること自体が困難になっているということだ。
時勢を読めない、理解できない、読もうとしない、おぼっちゃまくん大学のじじいたちが政治を動かすとこうなる。
2022/2/26