イワタニはカセットグリルに命をかけている会社である。
同社の「たこ焼き器」は傑作だった。なぜ「だった」かというとホームパーティーにもっていって
よせばいいのにそのまま置いて帰ってしまったからである。その家の夫婦の孫たちがきたときにたこやきパーティーをしたそうだったからである。
この商品はTVショッピングで紹介されていて知った。
どんなすごい商品かたたみかけるおねえさんとさくらのおばさんたちの驚く声に洗脳されてヨドバシドットコムで注文してしまった。
しかし、焼肉で「スモークレス」なんてあるわけない。もし、使ってみて煙が一条でもたなびいたならお客様相談室に電話し、吠えるつもりだった。
商品名には「スモークレス」と謳いながら購入してみると「煙の発生を少なく抑え」と書かれている。
どこか会社のうしろめたい気持ちがあらわれている。
商品化するさい、「スモークレス」とやっちまってほんとにいいんかいとかなりもめたという(かどうかわからない)。
社長にご判断を仰ぐことになり、社長は「商品名にはご承知の通りまずなによりインパクトが必要だ。『煙が少ない』ではお客さんはとびつかない。ただスモークレスとやると咬みつくじじいとかでてくる。ならば買ってしまった後にパッケージにしらーっと『煙の発生を少なく抑え』とつけくわえておいてはどうか」と静まり返る会議室の保身に走る社員たちの前でやっちまった(ような気がする)
社長の鶴のひとこえにしたことで煙のくすぶるネーミング問題は一定の解決をみた。(と思われる)
「新築の家」で焼肉をする、まして「ガスコンロで肉を焼く」というのは勇気のいることである。
焼肉屋にセーター着ていくのとおなじように「やってはいけない」もののひとつである。
そろそろ新築じゃないしな、と思われるころふと家で「焼肉」が脳裏をよぎる。
ここには「レス」とある。
「レス」は「ない」ことをいい、夫婦間で「たまにはある」ときには通常使われない。
そんときは「RARE」か「EXTREMELY RARE」にすべきだろうがこれだとなんのこっちゃとなり社長が怒ってしまう。
試食会をおこなう。
商品の書き込み欄には「野菜にはなかなか火が通らない」とあってあらかじめ
「煮るなり焼くなり二宮和也」しておいたほうがいいということだった。
点火し燃焼実験する。
ちょうどいま国産初のジェット機「桜花」と「橘花」のエンジン開発物語を読んでいたところだった。
燃料は「濃縮過酸化水素液」や「水化ヒドラジン・メチルアルコール混合液」。
(一式陸攻に桜花を吊り下げ空中で切り離すという技術士官三木忠直のアイデアは戦後の1947年のB29にXSー1を懸下し初の音速を超えたジェット機に引き継がれている)
ともあれ八幡製鉄所のおひざもとで育ったため少々の煙ではおどろかないつもりだ。
壁紙ににおいがつかないか、床がぬるぬるしないか、服ににおいがしみこまないか。
煙がでやすいよういじわるに豚のばら肉を用意した。
固唾をのんでみまもる。
ときどき脂に引火し炎があがることもなく粛々と直火で焼かれていく。
しかも脂がじわーっと下の水をはったトレーに落ちて、ホットプレートのように肉が油まみれになることもない。
焼肉は通常殺気だってぼやぼやしていられないものだけど、このグリルは煙がでない設定温度に調節しながら黙々と仕事をしてくれる。
いいぐあいに焼きあがる。「海軍空技廠」の開発者たちの歓声があがる。
合格。
けむりはまったくないか、においが気にならないかというとそんなわけはないが、お客様相談室に電話するとか、株主総会で暴れたりする気持ちにはとうていならない。よくぞやってくれたと連絡したいくらいだ。
じゃがいもはあらかじめレンチンしておく。
めでたく我が家の一員となる。
春キャベツもおいしい。
カセットガス スモークレス焼肉グリル“やきまるⅡ” | 岩谷産業 (iwatani.co.jp)
岩谷産業の創業者は立志伝中の人物だったか。ただの会社ではない。
「島根県安濃郡長久村(現・大田市)出身[1]、大田農業学校(現 島根県立大田高等学校)卒業。神戸市の運送会社で勤務した後、ガスの製造・販売を行う「岩谷直治商店」を1930年に創業。これが1945年に株式会社法人の岩谷産業に改組される[1]。それ以後40年間に渡り社長を務めた。長男は日本瓦斯創業者の岩谷徹郎、親戚に竹下登(第74代内閣総理大臣)、直系ではDAIGO、石川佳純(卓球選手)、がいる。
1953年家庭用プロパンガスを日本で初めて市販。また1969年にはガスホースを使わないカセットボンベ式卓上型ガスコンロをやはり日本初の市販化。「プロパンガスの父」と慕われた。」(WIKI)
雪がつもり枝が折れ常緑樹なのに葉が落ち枯れてしまったはずのシマトネリコに小さな新芽がでてきた。雪対策をしなかったことを詫び、ときおりごめんねごめんねといいながら枝をなでてやっていたことに応えるかのように。