ホテル カデンツァ東京 光が丘  2022/5/5

ルネサンス練馬限定会員になると区内の3つのジムが使える。休館日やその日の気分次第で使い分けることができ重宝している。

そのなかのひとつ、ルネサンス光が丘はこのホテルの中にあって、地下3階まである駐車場も1時間半が無料となっている。

ぼくがここに通うときのいでたちはクロックスによれよれのTシャツ、ファッションセンター「しまむら」のスウェットと決まっている。

このホテルには宿泊客だけでなく結婚式や入学式のあとの会合やら、団体の会議などがなにかしら催されておりやってくるゲストはみなさんおめかしている。ホテルマンもいつも正装で立っている。

だから、浮浪者のようなぼくがうろうろしていていいんだろうかとホテルマンの視線に耐えつついつも気後れしながら通っている。


あるクラス以上のホテルのどこもそうだろうがホテルの中にあるパン屋さんのパンはおいしい。

ここのバケットやイングリッシュブレッドがおいしい。ポンパドールのバケットにも劣らない。しかも1本、1斤ともに300円(30円値上がりした)

ぜいたくといわれようともう、山崎パンだろうが「超熟」だろうがスーパーで売っているパンは買う気がしない。

ケースにならぶ色とりどりのケーキもおいしいのだろうが食べないから味はわからない。


このホテルは練馬と埼玉県の都県境の光が丘にありながら「カデンツァ 東京」という名前がついている。

それでは後ろめたいと思ったのか「カデンツァ 東京 光が丘」と正直に現在地表示している。

東京オリンピックのときもたくさん欧州やアフリカのアスリートを迎え入れていた。

羽田などへの空港リムジンバスもここから発着する。

とはいえ、「とうきょうねぇ、どこがよ」と鼻で笑いながらホテルをながめる。

東京ディズニーランドほどではないがぼくがアスリートだったら「東京」まで1時間近くかかるだろうホテル東京に「詐欺だ」と叫んだかもしれない。


裏にある庭園はアゴラ造園さんによってよく手入れされている。

わたしがかかわっているNPO法人の協賛団体にこのホテルカデンツァ東京とアゴラ造園㈱が名を連ねている。

練馬の緑を子供たちとともにはぐくむという理念のもと活動している。

この新緑をながめながらランニングしている。


だっこしたいほどかわゆい。カルガモ親子の横断歩道歩きを楽しみにしている。

練馬区の西に隣接する保谷市はそのむかし名を変え「西東京市」になった。

これからあちこちに「北東京市」や「東東京市」、「南東京市」が出現するかもしれない。

「南京市」「北京市」に続けとばかりに。

それだけでは足りなくなって「西南東京市」や「北北東東京市」まで進路をとるかもしれない。

ぞっとする。

いちおう東京の西にあるんですよという見苦しいうすっぺらな見栄と役人が考えそうな貧しい発想によるネーミング。


そういえば

「北九州市」もそうだよな。あじわいも情緒もなにもないただの住居表示。鹿児島の知覧のあたりも「南九州市」だと。

いずれも歴史が残る町の名前がありながらなんてことだ。

北九州市は5市合併で誕生したさい「北九州市」とともに「西京市」という名前が有力候補にあがったというが、「天皇が住んだこともないのに京をつけるのはいかがなものか」ということで却下された。

「京」はとてつもなくでかい、という意味。だから「鯨」くじら、となる。

ついでにいえば「毎」(本当は

「なかれ」ではなく母)

母であって「つぎからつぎへと子供を産む」、さんずいがつくと「海」(波がつぎからつぎへとおしよせる)、きへんがつくと「梅」(つぎからつぎへと花が咲く)、さらにくさかんむりでは「苺」(つぎからつぎへと実がなる)

こんなこっちゃ。


前置きはこれくらいにして、このホテルのジムで事件が起きた。

ロッカー室でおよそジムでのトレーニングとは無縁のおじいが「そそう」したのだ。

歩くのが、お風呂で湯船に入るのがやっとの介護施設から脱走してきたようなじいさんで、湯船で倒れたら助けてあげないといけないなとそのおじいのただならぬようすをながめていた。

一見して認知症が疑われる「ジムなんかにやってきてはいけない高齢者」。

ただ、その風貌からかつて地位のあったかたとお見受けした。


ロッカーでお風呂上りに着替えていると、ご常連さんがぼくのところに血相をかえてやってきた。

「あのじいさんが長椅子のうえで〇✖した。そのロッカーのそばじゃ着替えができない。まいったよ。」

「スタッフに電話をしたけどいま男性スタッフがいなくてそちらにすぐいけないといわれた。シャワーも15分くらい使っていたし、へんだと思ってた。」

あわれその先輩はぼーぜんとうまれたままのすがたで完全装備のスタッフが到着するまでしばらく立ち尽くすことになった。


おそるおそるようすをうかがうことにした。(目が合ったじいさんはうすらわらいをしていた。これ以上現場のようすは伝えられない)

自分もいつかこうなるのだろうか。

垂れ流すのだろうか。

「老い」に恐怖と戦慄をおぼえる。

「上戸彩」の名前がでずに苦悶呻吟したくらいならまだ許せる。

そうなるまえにこの世に未練はないしすい臓がんになって3か月でさっさといってしまいたい。

それまではクロックスとファッションセンターしまむらで風を切って颯爽と笑顔で歩いていたい。


思えば小倉のルネサンスでも同じようなことがあってお風呂のお湯を全部抜いてしまって浴槽が使えなくなったこともあった。


24時間365日お世話に奮闘している介護施設のスタッフには頭が下がる。

いつも帰り道にあるSEIYUで夕ご飯の材料を仕入れる。

食材の仕入れがぼくに偏っているのではないか、とおかあにせまると、

「車だしかせいでいるみたいだから、いいかと思った」とにやける。

もし、おいらがこのじいさんみたいになったらどうするか、そしていなくなったらどうするかおかあに質すと、

「それは、こまる。買い物やごはんの用意をしてもらえなくなる」という。

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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