サミット「Hiroshima」2023/5/19

「福山SAー135」

やられました。

サミット開催で下りの広島空港から広島一帯の山陽自動車道が午後9時頃まで通行止めに。

予想はしていたが東京を出発して山口くらいまでは行きたかった。21時ではぼくの営業時間を過ぎている。

やむなく広島の東端の「福山SA」でステイすることになったが、ここはお気に入りのサービスエリアで、本格広島風のお好み焼きが美味しい^ – ^

福山はバラの町。サービスエリアの一部がばら園として整備されている。手のかかるバラをここまで育てた人たちに敬意を表し楽しませてもらう。

うちの庭にも植えたくなった。


本日続々とサミットの要人がヒロシマに集まってくる。通行止めになってもなんの不満もない。みんなで力を合わせろくでもないプーチンを、(ロシア🇷🇺ではないと思いたい)を懲らしめてやってほしい。

岸田くんは頼りなく、信念も行動力もないと軽んじていてたけど、やり方が乱暴すぎるところはあるがこのごろ見直してきている。

ろくでもない総理大臣が長年めちゃくちゃやってきて、ようやくまっとうな人になったかと思った。

ウクライナを電撃訪問🇺🇦したのも、このサミットに彼を招くためだったようだ。

原爆慰霊碑への世界の首脳たちの一斉の献花に目を疑った。驚くべき出来事だった。

翌日、広島、宮島を通過するとき、眼下の街に世界の首脳が集まっているのだ、そして、被爆国としての意味を世界に問いかけているのだ、とかみしめながら。

やはり岸田は広島の子だった。ポーズで終わらないことを祈る🙏

中国自動車道に迂回してくれだと。やだもんね〜!

お寺の手続きの次は「実家の家じまい」で荷物の整理をする。

現状引渡しで購入してくださる方が見つかり、そのままでもいいのだけど、まもなくやってくる引き渡しを前にしてできる限り私物を処分する。

そしてなにより引き出しの中にしまったままの数えきれない思い出を持ち帰る。

この家は私たち家族の景色をどんな思いで見ていたのだろう。そこにはどこでもある家族の団欒の日常と、そして普通の家族にはあり得ない悲しみがあった。

母のためにした、畳替えや、ウォシュレット、洗濯機、お風呂のボイラーの交換はほどなく施設に入居してしまったことで結局は自分のためとなってしまった。


新しい投資家のご主人はどんな方だろう。

リフォームしてキッチンを入れ替え、壁なんかもきれいにして、さらに1階を今風に部屋をぶち抜き広いリビングダイニングにして賃貸されるのだろうか。


小倉は旭川同様支店都市で、転勤で一軒家をお探しの家族もいらっしゃるはずだ。

おそらく転勤先が小倉と聞いてがっかりの左遷組の^ – ^。勤務期間2、3年の仮住まいにはいいだろうし、もう少しの辛抱だからね。

2階の窓から見える小倉の高速道路や中心部の街の景色やお祭りの花火を楽しんでね。


実家がなくなることに心の整理がつかないでいる。

無理に整理することもなかろう。


作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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