
本日は「町田」で忘年会がある。
なんで町田か。いつも3人で新宿で恒例となった忘年会を開催していたが、今回は町田駅から徒歩10分ほどの後輩の事務所の見学を兼ねて、遠征することになった。
小田急線は学生時代からのあこがれだった。
まず、新宿駅西口が起点であること。そして行先は箱根や江の島などの日本有数の観光地で途中丹沢山系を眺めながら相模湾に向け南下する。そして、あのロマンスカー。
緑がまぶしい世田谷の高級住宅地を走り抜けると一気に観光気分にひたり、わくわくする。笑顔になる。
忘年会兼内覧会は午後5時からだから、それまでの時間をせっかくだからと1日フリーパスに乗ってみることにした。
ぼくらの町は西武池袋線で、まず、「池袋」発着というところからつまずいている。
場末感漂うやさぐれた響き。
そして終着駅が「秩父」。
おもえば遠くにきたもんだ。荒涼とした寒々しい景色に連なるむなしい響き。
その昔、良質の銅が採掘され、奈良の大仏建立の際に献上されたけれど、ふーん、だからどうした。
西武鉄道はかねてからやっきになって秩父を観光地にしようとしてきて、最近は小松奈々までをイメージキャラクターに起用してやる気をだしているようだが、その先はみえない。
あの子は八ヶ岳の山の子だけど不憫でしかたない。晴れ渡る八ヶ岳の空のほうが似合うよ。

とりあえず、終点の小田原で降りてみる。まず、「いけるところまでいっぱい乗った」感を満足させるためだ。
もちろんこの路線は何度も利用していていまさらではあるけれど、これだけ青く澄んだ初冬の空のもととりあえず50年ぶりとなる小田原城にまずはいってみよう。

学生の頃はこの北条氏のお城のたどった歴史はどうでもよかった。松江城を遊び場にして育った子供からするとこのおもちゃのようなかわいいお城は「だから何?」だった。城郭として認めていなかったのかもしれない。
しかし、その後歴史を真摯に学ぶに及び、このお城がさまざまな工夫を凝らしたとんでもない難攻不落の代物で、豊臣と徳川の時代のはざ間に翻弄された運命に思いを寄せることができるようになった。
いまでは、ゴレンジャーのようなちび忍者が場内をざくざく音をたてて走り回っている。
忍者の頭から「忍者は音を立てて走っちゃダメだ!」と怒鳴られながら。


天守閣から真鶴半島と伊豆の山並みが遠望される。
来週いくからな、と声掛けして。

ショックなことがあった。
天守閣に上がる階段がさくさく登れなかった。
さほど急な階段でもなく、そして階数もわずかなお城にもかかわらず。
来年は70歳になるのだから仕方ないんじゃね、かもしれないが認めたくなかった。
日頃、テレビばっか観てごろごろしているおばちゃんならともかく許せなかった。
うちひしがれながら、次に「鶴巻温泉」に向かった。

駅前の日帰り温泉施設「弘法の湯」は公共施設で2時間が800円、のところ市内に住む人は600円で、さらにシルバー割引600円もある。
ふつーの温泉と違い、入り口にリュックサック専用の置台があることだった。そう、ここは登山帰りのハイカーで賑わう温泉だった。
古くからの信仰を集める大山(おおやま)はそんなちょろい山ではない。
高尾山といっしょくたにしないでもらいたい。

かなり年配の登山客の一団といっしょに温泉に浸かった。
間違いなくみなさん70歳はゆうに越えた団塊の世代の面々と推察した。
小田原城の天守閣に登ったぼくと、1,252mを登り下りしたじいじのくったくない満足げな表情。
ぼくらの世代と違ってあの世代の方々はもともと時代背景からして育ち方が違うし、やわじゃない。国をも信頼せず、覇気があって独立心が強い。
それが「天守閣」と「標高1,252m」の標高差になった。
決めた。
少なくとも、毎日のように通うジムではエレベータを使わない。
夏季は別としてこれから5月くらいまでは階段で3階までいこう。
ウオーキングではもっと傾斜をつけよう。
「原則として」エレベーターは使わず、
「事情が許せば」傾斜をもっとつけよう。
