
高倉健さんの「花と龍」の映画のイメージが強すぎる。原作は日露戦争のころの石炭を船に運ぶ沖仲仕(港湾労働者)の物語であったのが、映画では映画受けするようばりばりの任侠ものに仕上げられている。
健さんだけではなく、藤田進、石原裕次郎などが葦平の父、玉井金五郎を演じている。裕次郎ものでは奥さんの「マン」さんに浅丘ルリ子が若松の荒くれものを相手に啖呵を切るなどというどうしようもないキャスティングとなっている。

北九州市民であったのにこれまで一度も訪れたこともなく、作品を読んだこともなかった。
この旧居には女性のガイドさんが二人いらして、入館早々気迫のこもった案内がはじまる。
事前にYouTubeのサイトでこの施設のことをお勉強してから臨んでいて、ほとんどのことは知っていた。
その旨、事前に伝えておいた。
葦平はこの家のさして広くもない庭で「ライオン」を飼っていた。
入館するとまずしょっぱなにガイドがゲストに「葦平が飼っていた動物は何でしょう?」と質問して驚かせる、というのが習わしとなっている。
「答えはご存じですよね?」と聞かれ「はい」と答えたら、ガイドさんはつまらなそうであった。楽しみを奪ってしまったのだから。
そのあと調べてみたら木下大サーカスから子供のライオンを譲ってもらったとのことだった。
もはやいまでは手に入らないような楠、紫檀などをふんだんに使った廊下や床、欄間。葦平の印税をもとに金五郎の趣味で建てられた贅を尽くした日本家屋。

日中戦争から太平洋戦争へ向かう時代でなければ53歳で自殺することもなく作品を書き続けていたろう。
早稲田大学在学中に幹部候補生として志願入隊する。
その経験をもとに流行作家として「兵隊作家」と呼ばれるようになる。
しかし、軍隊生活ではレーニンの翻訳書を読んでいたことから、軍曹から伍長に降格、そして除隊。
左翼思想に触れ、その後労働組合運動に身を投じることになる。
葦平の旧家として展示されているこの記念館であればこそ、そのような説明はない。
狂信的な陸軍参謀の立案したインパール作戦にまで従軍し、記者として記録しなければならなかったことを思うと時代に翻弄された文学青年の無念を思わずにはいられない。
マンさんは字が書けなかった。葦平への手紙はいつも幼児のようなたどたどしいひらがなで綴られている。あの時代それも特別なことでもなかったのだろうか。
石炭で若松が沸騰していた時代の実話がベースになっている。そんなことを想像しながら海岸べりを歩く。
以前、さほど大きなお城ではない小田原城の天守閣まで登った時、すいすい登れなかったことにショックを受け、以後当たり前のように使っていたエレベーターとエスカレーターを使うのを、できる限り使わないようにした。というか、「迷ったら使わない」ことに決めた。
するとどうだろう、今回の3泊4日の北九州ツアーでは、キャリーケースとリュック背負っての移動だったけど、駅の階段の上り下りのさい、息も切れず、さっさと動けて、その都度我ながらおどろいた。
ジムでのトレーニングでもマシンのウェイトをそれぞれ数キロずつ増した。
70歳前だけど肩や胸の筋肉もつくものなんだね。
Lサイズでは窮屈になった上着がそれを物語る。
なんかのきっかけであんたの日常生活のこの部分、
「いまのままじゃいかん、どげんかせんといかん」と気がつくこと、これは大切。
次の「小田原城の天守閣」はなんだろう?