新宿御苑の古書店で手に入れた昭和の絵葉書。1961年に伊豆急行鉄道が開通して一気にアクセスがよくなり、たくさんの人が訪れるようになったと聞いた。
旅がぜいたくで、みな忙しく働いていて温泉旅行など♨️なかなかいけなかった時代。伊豆の漁村も鄙びていてゆったりしている。
伊豆半島南端の石廊崎に向かう途中の蓑掛岩。この近くの民宿が職場の先輩の奥さんの実家で夏休みに家族や友達たちと通ったものだ。このあたりは「鈴木さん」姓ばかり。民宿から降りるとすぐに海岸で、バーベキューしたり、絵に描いたような夏休みを過ごした。夏休みをこんな過ごしかたをした子供たちは必ず曲がらず育つ、と思っていた。そんな思いをよそに2人の子どもはグレはしなかったもののあちこち寄り道しながら育った。
蓑掛岩までどれくらいだろうか、1キロないくらいなので、泳いで上陸しようと思ったが、ここは親潮の潮流の速い海でもしものことがあったらと途中で引き返した。子供の友達のおとうさんが心配そうに岸からこっちを眺めていたこともあって。
入江が深い天然の良港石廊崎。義母とおじが戦争中疎開していた漁村で(正しくは「仲木」)伊勢海老の捕まえかた、ある髭を掴むと動けなくなる、こととかよく話を聞かされた。いまでも開発の波に曝されず秘境の佇まいが残る。
太平洋に沈む夕陽の石廊崎灯台。伊豆でいちばん好きな荒々しい岩礁地帯で、さすがにここまで下ると静かで喧騒とは無縁となる。てんぐさが名産(ところてん)。
民宿では伊勢海老を出してくれる。活き造りもいいけど、朝ごはんについてくる味噌汁が格別だ。
弓ヶ浜。弓なりになった遠浅の海水浴場。子供たちも安心して楽しめる。
昭和30年ころの日本人の顔っぽい。高松塚古墳の壁画のようにふっくらして、ロッテ雪見大福のような美女。
鉄道もなく、山がちな西伊豆からの富士山の景色がフジの眺めとしてはいちばんであろう。海抜ゼロメートルから一気に駆け上がる大きな扇の山裾の美しさといったらない。急峻で曲がりくねった狭い道を走っていると東海バスが向こうからやってきて、崖から落ちないように気をつけながら道を譲らなければならなくなる恐怖も味わえた。アクセスの悪さと強い風にさらされる西伊豆は別荘地として敬遠されたのだが、おかげで開発も進まず、いい感じで自然が残されている。特に、松崎から石廊崎にかけての海岸はまさに秘境といって良い。
西伊豆 戸田 このあたりは駿河湾の深海となっていて世界一の巨大蟹タカアシガニや手長海老などが名物となっている。
西伊豆 妻良 松崎 しんちゃんと私はかつて3人の若者を奴隷にしており、肉体労働が必要なとき、つまり、カヤックを運ばせたり、伊豆に展開する地元スーパーAOKIでの買い物の荷物の上げ下ろしに賃金未払いで使役していた優雅な時代があった。毎年入ってくる新入社員のうち、奴隷としてふさわしいあまり人生について深く考察したりしないタイプの健康な青年に目をつけておき、安酒場で焼き鳥をあてがって搦め手で手なずけ、次第にわしらの術中にはめてゆく、という寸法であった。ひとたび奴隷となると簡単には足抜けできるはずもなく、自分の代わりを差し出さなければ認めてもらえなかった。だから、左のきんちゃんも右のわっしーを洗脳し入信させるのに必死だった。そのころは伊豆高原にあった滞在型の東急リゾートマンションの会員であったので、私のつくる料理を振る舞ったりしたものだ。とりわけ地元稲取で仕入れた金目鯛の煮付けとか、イワタニのたこ焼き専用カセットコンロで縁日ふうにしたりして盛り上げ、ますます退会ができない、というか奴隷であることに疑問を持たず喜びすら感じるよう仕向けていった。思えばわしのあざとさ全開のいい時代であった。2009年