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いよいよGo To Eat


次は飲食店の番だ。

かんたんにいうと店の予約と飲食でまずおいらの場合夕食で来店ポイントのほかに1000円分(ランチは500円)のTポイントがもらえる。

1000円以上の飲食が条件だからあれこれ注文せず軽く済ませればそのぶんお得にあがるし、大勢でいったらいったで人数分のポイントがもらえる。


いちばんの問題はキャンペーンに参加しているお店がチェーン店などに限られていることで、まだ東京は選択肢は多いものの、地方である福岡県でいえば博多だけが利用できる店が突出していていて北九州市などはまずなにより登録店が少ないし、いってみたいと思える飲食店が皆無だった。

ランチに使いたいいい店があれば月10回までふだん使いができるが、夜の部はこれじゃ使えないという印象。

住まいのある練馬のお蕎麦屋さんをためしに予約してみる。


北九州のいってみたい店は軒並み登録していないようだ。人気店はそもそもキャンペーンに参加していない。

東京や大阪などの大都市圏と地方都市の格差が如実にあらわれている大都市偏重の、ぐるなびのサイトなどに登録している店のためだけに税金を使った政策といえ、家族でやっている町の中華料理屋やお蕎麦屋さんなどは蚊帳の外。

2020.10.21

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西ベルリン、ライプチッヒ、ドレスデン1982

西ベルリンに入る。

日本人は珍しいのか東ベルリン側の検問所の係官はパスポートを眺めながら興味深そうにいろいろ質問してくる。

そして出国の申請書に記入したにょろにょろへたったアルファベット見て、「これお前が書いたんか?」と笑った。

要するにやつは暇で遊んでいた。日本の公務員のように職務に忠実ではなかった。

ドイツでも笑いものにされた。

闇で購入しておいた護身用のルガー(ナチスの拳銃)に手が伸び引き金に指をかけた。


東ドイツの情操教育、役人の指導教育がまるでなっていないこと、字が下手でつらい思いをしている人を思いやる気遣いのなさが証明された瞬間だった。


字が下手なおいらにとってこのころ登場したワープロは火薬や印刷機やダイナマイトなんかの発明発見よりも大きな出来事だった。

練習し、きれいな字を書こうと丁寧にかこうとするほど手は汗ばみ、字は「下手な字がより下手さがきわだって鮮明にくっきり」となっていった。

 


西ベルリンは街そのものが共産国に向けた西側国家がいかに自由を謳歌してるか「天国よいとこ一度はおいで」と見せつけるためのショウウインドーで、明るいショップ、妖しい映画館やら多くの車なんかであふれていた。

これ見よがしの政策的なあてつけだった。そうするといきおい新宿歌舞伎町のような猥雑な雰囲気となる。


カメラを構えるとKGBにガン見される。

「Worauf schauen Sie sich das an?
Was machst du hier?
Du bist ein Spion? Ich nenne dich Gestapo.

「きさん、そこでなんしおんか?

くらしちゃる!」


またルガーに手が伸びる。

ブランデンブルク門にいってみる。

そのころバッハのブランデンブルク交響曲ばかり聞いていたからしばらく口を開けて感慨深く見上げてながめた。

1945.7 Berlin


これは西ドイツ、北部の都市ケルンのおもちゃやさん。大嫌いなお土産やではない。

北欧神話のトロールがいる。いまでこそメジャーなキャラだけど当時は「三匹のヤギのガラガラドン」も読んでいなかったし、ただの赤鬼にしかみえなかった。


その両脇の魔女みたいなおばさん二人が気に入り箱に詰めて日本のおじさんのところに送った。

鎌倉大船のM菱電気の工場に勤めるインダストリアルデザイナーで趣味で造形作家みたいなこともやっていたから喜ばれるだろうと。(案の定いたくひどく気に入ってくれた)


ベルリンから南へ。ライプチッヒのホテルのバーでそのケルンからきたビジネスマンと飲んだ。ホテルの外は赤ちょうちんも居酒屋の類はなんもなくホテル飲みよりほかはなかった。


ライプチッヒで「メッセ」があってそれにきている。という。

幕張メッセなどなかった40年前で、メッセの意味が分からず「メッサ―」(ナイフ)?、「メッサーシュミット」?などとんちんかんに聞き返してしまった。


すると見かねたバーテンダーが「FAIR」(商品市)のことだと助けてくれた。

ケルンの大聖堂は爆撃の被害を逃れた。

「まわりは破壊されたけど大聖堂だけは残った。」という。

「Warum?」(どうして)と聞き返す。

ビジネスマンは待っていましたおっかさんとばかりに両手を合わせ下を向いて、

「お祈りしていたからだ」と。


これは相手の答えを先読みした問いかけですでにおやじのあざとさの萌芽がここに見える。

あらかじめ返ってくるであろう答えを想定して問いかけ、思うつぼの答えを引き出す、といういやらしさをドイツでもさく裂させた。

ただし「相手が待ってましたと喜ぶ答え」の場合にしかさく裂させてはいけないことも知っていた。

ケルンの大聖堂への爆撃はターゲットから外しただけのことだろう。


長崎の原爆は曇りで投下をあきらめかけたときに晴れ間が見えた浦上の上空から投下した。

予定していたターゲットではなかった。

そこは天主堂があってキリスト教徒や被差別部落の人たちが多く住む地域だった。

犠牲者となり、その後被爆者となってさらなる差別に苦しむことになる事実はケルンの大聖堂のこのお祈りと重ねどう理解したらいいのかわからない。遠藤周作の「沈黙」同様、何故?と問いかけたくなる。


このあと東ドイツ南東部の州都ドレスデンを訪れるのだけれど、そこはほぼドイツの敗北が決定的となっていた大戦末期の1945年2月、昼間はアメリカのB17,そして夜間は昼間の爆撃で燃える市街地を目指してイギリス軍のランカスター爆撃機が軍需工場などなかった市街地に昼夜たがわず連日爆撃を行っている。

「ドイツのヒロシマ」といわれるほどの多くの一般市民が犠牲になった。

やらなくてもいい爆撃をロンドン大空襲の報復でやった、といわれている。


すざまじい爆撃のあとの瓦礫をそのまま残してあって、見学できるようになっていた。


たまたま通りかかったナチス党員だったらこわかっただろうなと思えるユダヤ人収容所の所長のようなおじさんが案内してくれた。

その口ぶりは「アメリカーナがやった」といまだに怒りが収まらないようすで、何度も「アメリカーナ」とこぶしをあげ叫んだ。きっと家族を失ったのだろう。


あいつらが参戦しなかったらイギリスを打ち負かしていたのにという悔しさ(2度も!)

そのアメリカをドイツとの戦争に引きずり出したのは真珠湾攻撃だけどね。


同じ敗戦国の日本人だから話してくれたと思っている。

切手のコレクションが趣味でヤーパンの切手が欲しいといわれ何度か送ったりお返しにおじさんは送ってくれたりした。

どれも印刷も雑で図柄も味気ない東ドイツの切手だった。


旅をするときはできうる限りあらかじめその国の歴史をしらべてから行く。これは礼儀だと思う。

韓国に観光旅行にいった若い娘さんたちがタクシーのおじいさん運転手に、

「おじいさん、日本語上手ですね、どこで習ったんですか?」と聞いたという。

そのおじいさん運転手の心中はいかばかりか。こんなことは絶対にあってはならないと思うのだ。

2020.10.21

 

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コレット井筒屋閉店のその後

百貨店の不振が続く。

かつてあの伊勢丹が小倉に乗り込んできたことがあったが、返り討ちにあって撤退していった。

伊勢丹のおごりだったと思う。

北九州のことは井筒屋がいちばんよく知っている。


撤退した駅前の店舗を空き家にしておくわけにもいかず、地元の老舗百貨店「井筒屋」がひと肌脱いで店舗を引き継いだ。

引き受けたはいいものの、小さな街に同じ百貨店2つはさすがに荷が重く、先ごろ引き継いだ駅前店舗を閉店した。

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東ベルリン、元気でいますか?

無人になった実家の片付けをしていたら、1982年の東ドイツとチェコスロバキアなんでも見てやろう旅行の写真がでてきた。

ロシアの戦車と砲撃、連合軍による空爆で徹底的に破壊されたベルリンは計画的な都市建設がされたけれど、

味わいのない、人々の息づかいの感じられない霞んで渇いた街になってしまったという印象を受けた。


あなたはこの街を歩いてみたいと思いますか?

横丁も長屋も神社も駄菓子屋もありません。

広い道路と巨大なコンクリートのビルを並べて建てればいい町ができるとでも思っていたのでしょうか?


破壊戦を繰り広げたソ連と東ドイツをいじめてはいけません。

そうするよかなかったのでしょう。


ハードディスクはただの箱であって、人が快適に過ごすためのソフトがなにも用意されていない。

このビルの中にショッピングセンターがあるのだけれど、愛想のない店員は役所の作業員のようで配給品をただ並べて売っている印象を受けました。


敗戦後の日本のバラックや簡易住宅は粗末粗悪でひどいものだったろうけど、貧しいながらもご近所から笑い声が聞こえてきそうです。


隠し撮りしたものです。KGBにマークされていたかもしれません。宿泊先は旅行前に予約しておき行動も報告させられていたから当局がその気になればいつでもしょっぴけます。


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ありがたや地域振興クーポン券 2020/10/14

安宿暮らしが体に染みついていて、せっかくのGO TO TRAVELの大盤振る舞いに際しても旅館や高級ホテルは敬遠気味。

この地域クーポン券は宿泊割引35%に加えさらに宿泊料の15%が付与されるわけだけれど1000円以下は足切りとなる。

したがって、宿泊料が6800円以上でないと1000円のクーポン券がもらえない。するとそれ以下の宿泊料を設定しているビジネスホテルはどうしたか。


朝食バイキングつきの部屋に夕食をつけた6800円の2食付きプランをはじめたのだ。

まず、6800円の料金設定から入って、夕食にはいくら当てられるか逆算して献立を組み料理を用意したことになる。


地元民はあのホテルには夕食付プランはなかったはずだけどと訝しがった。

それもそのはずゴーツーのための特別プランで要するに観光業界もそれほど必死なのだ。


このクーポン券はなかなかかしこいやつで、駅のスーパーマーケットでも使え、なんでも買えるものだから、普段はかごに入れるのを躊躇する缶ビールのいいやつなんかをちゃっかり仕入れてしまった。


駅の売店のおみやげなどまるで興味がないからお土産やでしか使えなかったら無駄にするところだった。これこそありがたいクーポンだ。

お土産のお菓子類は四国のなんちゃらという会社が日本全国から注文を受けてまとめて製造して、全国にばらまいているみたいだからありがたくもなんともなくばからしくなってしまった。

おやじはおやじなりの「貧の意地」というこだわりがあって、特に旅についてその意固地は頂点に達する。


理想の宿はコンドミニアム型のキッチン付きの部屋で当然食事はついていない。

それゆえ地元のスーパーで当地の食材を仕入れ調理するスタイルで、長年の八ヶ岳の山荘や東急リゾートの会員旅暮らしがベースにある。


金沢では近江町市場でずわいがにの脚がもげてはぐれものになったやつばかりのお得なパックを買い求め、部屋に持ち帰りDAISOで買った鋏でばりばりやって無言でむさぼる、というのが至福の時間だった。

夢よふたたびと鳥取ゲゲゲの鬼太郎境港魚市場でそれをやったら、脱皮がらみのふにゃちんすかすかガニでまいってしまったこともあった。しかも甲羅や殻が大量のごみとなってしまい清掃のおばちゃんはさぞびっくりしただろう。人生が台無しになったような気がした。

失敗と苦労の連続の人生だった。


和服きた女将のあいさつなんていらん。見たくもない。

きれいどころが玄関で勢ぞろいしてあいさつする。ぞっとする。

品数あふれる豪華な食事も必要ない。いつも大半を残してしまうから。

イノシシだ、アユだ、タラの芽だ、これもいらん。

こんなん出せば客は珍しがってありがたくいただくとでも旅館は思っているのだろうか?

いわしの刺身やあじのたたきや、さんまや、さばの塩焼きの方がずっといい。

しかも焼きたてで湯気があがっているやつ、切り口が立った刺身、ももの塩焼き。そうなると地元の居酒屋「二十五万石」にいくしかないべ?ビジネスホテルと歓楽街の居酒屋のゴールデンタッグが生まれるのは自然の法則。


だから、夕食付きの宿には縁がない。縁をもとうとしない。


お祭りの時でさえ着ない浴衣着て、ホテルでスリッパ履いてぺたぺた歩くのもしたくない。パジャマも持参しているから浴衣はいつも使わずじまい。

Wi-Fiは必須。PCと映画の詰まったHDDとブルーツーススピーカーもセットで持っていく。


さらには備え付けのお茶っ葉はくず茶でおいしくないからお気に入りのお茶の葉ももっていく。

東名高速のサービスエリアの売店に並んでいるお茶の葉はいろいろ試したが、玉石混交というかろくでもないのが多く、失敗を繰り返した結果、沼津の問屋さんの「茶通亭」に落ちついた。

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道の駅~伊豆修善寺 月ヶ瀬~70

高級旅館を思わせる、おされーな道の駅が2019年10月に誕生!

伊豆縦貫道狩野川IC隣接の準高速道路サービスエリアといってもいい道の駅。

中伊豆はこれまでとにかくアクセスが悪かった。

天城北道路。無料の自動車専用道路が開通した。2車線の国道は休日はいつも混んでいて、渋滞のたびに憂鬱になったが、南北の縦貫道が東名高速に直結し格段に便利になった。


東海岸の河津から天城越をする途中の道路沿いには名産わさびの直売所があちこちに。それだけ清らかな水に恵まれている。

ソフトクリームにもわさびを練り込んだりしている。休憩コーナーからは清流狩野川の流れを楽しむことができる。

川蟹や猪を使ったメニューも用意されているけれど素通りする。興味がない。売店で販売している、すりおろしたわさびと葉っぱだけでいただくシンプルなごはんのパック200円のほうがずっといい。さわやかな清流によく合う。


清潔な道の駅はいい。

いぜんあの「清里」の道の駅はさぞかしきれいだろうと期待して寄ってみたことがあるけれど、施設も古びて朽ちているのと同じくやる気も失せている駅だことがすぐにわかった。

なによりトイレが汚く、昭和45年の私の通った本城中学校の便所のようだった。世に知れた高原の清い里のスタッフは「どげんかせんといかん」とかいって声をあげないのだろうかと不思議に思った。(あげている最中かもしれない)


東海岸熱川の朝日は熱い。

熱川といえばあの嫁いびりドラマ「細腕繁盛記」の舞台である。

熱川を通るたびにいびり倒される新玉美千代の顔といびり役富士真奈美の決め台詞「犬に食わせるめしはあってもおみゃーに食わせるめしはにゃーずら」を条件反射的に思い出してしまう。

思い出させるほどのすごい伝説のドラマだった。

いまなら半沢直樹だわ。

伊豆大島のなだらかな島影を朝日が浮かびあがらせ、秋のすじ雲を赤く染める。

思い出満載の伊豆高原の別荘地帯とプリンのような形をしたミニミニ富士山の大室山。


ゴーツーキャンペーンはいろんな意見があるだろうけど、おやじは評価したい。

まず助成金や給付金ではないこと。

旅館やホテルの本業はゲストにきてもらって宿や食事を楽しんでもらうことにある。

そのお客さんが宿とは別な理由でこれなくなった。

本来だったら賑わっているところおもてなしができなくなった。


このキャンペーンは宿の本業である「おもてなしができるように」企画されたもので、お客を呼び込み、宿泊料をいただき、スタッフに給料を払い、仕入れ業者や施設関連業者たちに支払いをすることにつなげる支援金、つまり宿が汗をかいて働くことを支援するもの。

給付金はそれはそれでたいへんありがたいけれど、本筋は本業支援につながる支援金こっちだと思うのだ。

2020/10/5

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GO TO キャンペーン 予約してみた。2020.9.28

GO TOキャンペーンでいちばんざわついていたのはあたいだよっ!

まず、行きたいホテルの公式サイトから宿泊予約する。

予約が完了すると、「この予約だけではキャンペーンの割引はできません」というメッセージが届く。


予約完了画面にはクーポンを発行するためのステイナビのURLが添付されており、新規登録する。

ステイナビ

ここからクーポンの発行手続きをする。

来年の1月末までで(予算がなくなるまで)何度も利用することになるだろうからマイページはありがたい。

ここでの注意事項は、

①「プラン名」の入力欄があること。必須事項。


ごちゃごちゃ長ったらしいプラン名はあらかじめメールからコピーしておいてペーストしないといちいち面倒!

「GoToトラベル対象<2021年1月31日宿泊分まで>【伊豆で紅葉を楽しもう】1泊2食バイキングプラン」


②宿泊料金(税込・入湯税も含む)の入力欄もあり。予約情報をプリントしておくこと。


発行されると、QRコードが届く。

これをフロントに呈示する。たったこれだけ!


いくら割引されたか、地域クーポンの情報も

1万円の宿泊で3,400円の割引と1,000円のクーポン。

実質ほぼ半額。これは大きいですね。この機会に普段手が届かずあきらめていた高級旅館に泊まってみたいと思う人もたくさんいるはず。

9カ月にもわたってボディーブローを受けた伊豆のためになるなら、、、

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東京シティーボランティアガイドの会員研修が動きだした。

世の中はコロナで蟄居していた大勢の人たちが「GO TO TRAVEL」だなんだでざわついている。

それもそのはず大手旅行業界会長のしおれたなすびの二階さんがアリの巣をつついてざわつかせようとしているからである。


おやじを含め東京都民は税金いっぱい納めていながら税金をばらまく政策からのけ者にされたことに不満を抱いていたが、いよいよ東京解禁となったことでマスコミも煽るわ、かあちゃんも騒ぎ出すわで普段あきらめていた高級旅館に悶々としていた都民がいまだとばかりに殺到しそうである。


同じく大打撃を受けている零細小規模外食産業には二階さんのような業界を束ねるような政治家がいないため、これという手立てを講じられないでいる。


雌伏9カ月家にこもり、ただでさえ太った体にさらに体重が増え、おやじは家でごろごろするもんだから妻にゴミ扱いされ、思春期でもないのにもやもやし、もやしをつまみに酒量も増え、かたやおっかあは外出しないもんだから化粧もせず、化粧してもかわらないことが見事に証明され、目つきも悪く小言も多くなりと日ごろごまかしていた家庭の内外を問わず社会全般のもろもろの問題をコロナはあぶりだした。


さぁ、外へ出よう!終息したわけではないけれど国もカバンもってでかけよう、旅先にお金をばらまこうとお墨付きで叫んでいる。


そして、休会中だったわが東京シティーボランティアガイドもいよいよ動き出した。

どれに参加しようか。研修に3回以上参加しないとボランティアガイドの資格は得られない。

分科会、というか個性的なグループがいくつもあって楽しい。気分やお好みによってどこにでも参加できる。


「アキバ」コースなんてわっちが案内したいくらいだ。


このところ、出口治明さんの歴史講義本を興味深く読んでいる。ひたすら知識を詰め込むだけの歴史教育を受けてきた我々への世界地理と時間軸のからみあいを示してくれる「考える歴史」のすすめ。

ただの保険屋さんではない。

きょう知ったこと。

1853年のペリーの来航について。

てっきり捕鯨船にあいさつしながらアメリカ西海岸からやってきた、と思っていた。

そうではなくて東海岸からインド洋を経由して浦賀にきている。

捕鯨船のための港欲しさでもなんでもなく、中国との貿易目的で当時覇権を競っていた大英帝国との競争に勝つための、インド洋経由ではないアメリカ西海岸と中国を結ぶ太平洋の航路がどうしても欲しかった、ということである。


しかも、やってきた4隻はアメリカ最強の戦艦であった。旗艦は「サスケハナ」という名の伊賀の忍者みたいな名前の大和、武蔵級の軍艦であった。

下田駅前にこのサスケハナの模型がおいてある。遊覧船みたいなかわいらしい船だけど当時の超ド級戦艦だったわけだ。


つまり、アメリカの武力を背景にしたおどしと恫喝そのもので、やる気でやってきた、ということになる。

目的は対中貿易で中国のお茶や絹がそれほど欲しかった。争っていたイギリスに遅れをとりたくなかった。


関東軍陸軍参謀石原莞爾が極東軍事裁判で「なぜ戦争を始めたのか」と問われ、「おまえたちが平和に過ごしていた我が国を恫喝して開国させた」ことがことの発端だといっている。そのときは大砲をぶっ放し江戸を焼かなかったけれど真珠湾攻撃並みの衝撃を受けたはずだ。

アメリカの石油の禁輸とハルノートの日本は中国から手をひけというとうてい当時の日本の受け入れがたい要求が日本に開戦を決断させた。

出口さんの言葉の中に

「この国が歩いてきた道、または歩かざるを得なかった道について大枠で把握することが、相手が理解し納得してくれるために必要です。」というくだりがあります。

そして、世界史の中での日本を見ることの大切さをお話されています。



イギリスは中国と貿易を始めたが、対中貿易で大赤字だった。大英帝国は進んだ機械なんかを見せて買ってくれと中国に働きかけるけれど、皇帝は「うちは国内のもので間に合っている、あんたの国から買うものはない」とにべもない。最新技術に興味を示さなかった、というところが中華思想の中国らしさでもある。

そこで貿易赤字を解消するために「アヘン」を売るというやってはいけない手を使った。


アメリカは自動車で日本にいいようにやられたあと対日貿易赤字を解消するために、「日本よ、アメリカの商品や製品を買ってくれ」と騒ぎつづけている。


牛肉やとうもろこしだけではどうにもならずしびれを切らし、まずはビジネスマンでありディーラーでありネゴシエーターであるトランプは対日貿易赤字を解消するための「武器」の売りつけに成功した。「シンゾー」なんてどらえもんのジャイアンのいいなりになるスネ夫くらいにしか思っていないから、仲良くしようねとすり寄ってくればくるほどやりやすくなる。


経済問題の解消のために「値段があってないもの」を使った。高いか安いかまるでわからない兵器。経済問題解決のためのりっぱな政治的な必殺「兵器」といえる。

アヘン戦争は今も生きているし、世界情勢は交易がベースになっているということだ。


そして目下米中貿易戦争の真っただ中にある。

2020.9.27

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東欧の一人旅~プラハ Prague~

おそらく私が訪れたヨーロッパの都市の中で最も落ち着いていて美しい街だろう。


ところが、この町は一人旅には向かない不便な町で珍しくいらついていた。それで同じようにコインロッカーがなく困っていたバックパッカーのブラジルの若者に声をかけ、プラハの印象を尋ねると吐き捨てるように「Not Modern」と返事が返ってきた。つまり、何もかも古臭くひなびた田舎に見えた。


日本人と会うこともなくそろそろ日本語でおしゃべりしたくなった。それまでは「会話はしたがおしゃべりはしていなかった」、「募集はしたが募ってはいなかった」状態だったから。

そこで日本人らしき一人旅の若者をつかまえて一緒にビアホールにいくことにしたのだ。


そのころからわたしの体は「ビールでできていた」から500年からの歴史を持つビアホールは楽しみで町が古色蒼然としていようとノットモダーンであろうとどうでもよかった。

調布に住む一橋大学の3年生だった。明日からレンタカーを借りてお城巡りをするんだとかでじゃあ渡りに船でレンタル料とガソリン代をはんぶんこもつから乗せてってよ、となった。


神聖ローマ帝国で飲む黒ビールの味は格別でぐびぐび思う存分ジョッキを空けた。

そしておきまりのご常連さんたちに突撃取材することにした。


6人くらいのテーブルに合流しフランケンシュタインみたいな大男やらアル中ハイマーおやじとうだうだ話している中でチェコでは「ナベサダ」が人気があることがわかった。


そして、フランケンシュタインは一橋が筆談で使っていたデジタル時計つきのボールペンを見て、ヤーパン(日本のこと ドイツ語圏だった)は科学が進んでいる、それに引き換えチェコはこんなだと、やれやれという顔をして両手の手ひらの片方の手を大きく下げてみせた。

黒ビールがぶ飲みしたのに真っ赤になった私の顔を指さしてフランケンは「Rot!(ロート=赤い)」と笑いやがった。

そして、しこたま飲んだあとトイレにいくと、おしっこトイレが日本と違って朝顔がずっとずっと上のほうにあって、173センチのおやじであっても小便小僧のように背伸びして上向きに噴射しないといけなかった。


北欧並みに男女とも背が高く、チェコの女性と菅総理大臣が歩くとおさるのジョージを連れて散歩しているみたいになる。


韮崎に住む高校時代の友人は短足で鳴らしていて柔道での安定感は抜群だった半面「ジーンズ買いに行ったら1本分で2本とれる」と揶揄されていたほどだったから、たぶん彼ならおしっこ用にお子様の踏み台が必要だったろう。

席に戻ると先ほどのデジタル時計のついたボールペンのことが気になるらしくフランケンのは不思議そうにボールペンをしげしげと手にとってながめていた。


すると、トイレに行ってくるといってボールペンを手にしたまま席を離れた。


なかなか戻ってこない。

どうやらやつは持ち逃げしたらしいことがわかった。

アル中ハイマーに友達はどこへいったと睨むと、「ともだちじゃない」という。うだうだ飲んでいて同じ席になっただけだと、うそでもなさそうだった。


旅先ではとんでもない人と出会うことがある。

一橋も23才かそこらで国際免許とって、レンタカーでチェコを回ろうとしているすごいやつだった。こんなわかものが将来の日本を背負って立つのだろうと思った。


お城巡りのあとピルゼンに向かう列車の予約で市内のツーリストビュローにいって交渉しているとき満席でうんじゃらかんじゃらとかいわれてもたついていると(特急列車は自由席は少なく予約席がほとんどだった)ウイーン在住の日本人が「かわって話してあげようか」と間に入ってくれた。


無事予約できたあと、おじさんはホットチョコレートをおごってくれた。そしてお礼をして別れた。


その後帰国し、東欧の様子のありのままを一部始終家族に伝えた。

妻の姉夫妻は団塊の世代で学生運動をしていたから問題のあったソ連や中国はともかく東欧には好意的であった。


そのありさまを信じようとせず「日本人も暗くしあわせでない顔をして暮らしている」だの「医療や教育が保証されていて華やかではないかもしれないが暮らしやすいはずだ」と。

2人は大学の教授となりその後活躍することになるのだが、この人たちに話してもいくら説明しても無駄だろうとその話はそれまでにした。


そして、プラハでお世話になったカメラマンの話をしたら、それは「田中長徳」(ちょーとく)さんといって国際的に著名なカメラマンではないかということになった。いまと違ってネット検索などできない時代。そしておくさんがピアニストで、、、

するとその場で話を聞いていた義母はなんと長徳さんのおくさまと知り合いで近々彼女のピアノリサイタルに行くことになっていて、ほらとすぐに引き出しからだしてちらしとチケットを見せてくれた。


まさかあろうことか上野の東京文化会館で開演前のホールで田中ご夫妻とお会いすることができた。

ついこないだのことでもあってよく覚えてくれていた。奇遇とはこのことだ。

カメラマンで知らない人のいないライカに魂を奪われた日本の第一人者だった。


「ビロード革命前は大切なことは、電話で話さない。手紙に書かない。酒場で話さないことが常識だった街」での出会い。

お元気な姿を久しぶりに。

 

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「ミッドウェイ」2020年版 2020/9/15

アメリカ人の男たちはとかくヒーローになりたがる。女性はヒーローに憧れる。

そこでアメリカの戦争映画にはアメリカに立ち向かう強敵が必ず必要で、ナチスのように敵が強大で悪の帝国であればあるほど彼らの血がわく。


アメリカ国防省の制作した戦闘記録フィルムをかたっぱしからみているが、悪の帝国であるドイツと日本を強い抵抗を受けながらもいずれもアメリカの兵士たちの英雄的な献身で叩き潰すストーリーになっている。

ナチスとの戦いを描いた大量のハリウッド映画ではドイツ兵はアメリカ軍にこれでもかとやられる。それに対していまのドイツは沈黙している。


それに引き換え日本の軍人たちは自分がヒーローになろうなんて思わず、愛する祖国の防衛のために、愛する家族たちを救うため散っていこうと命を捧げようとした。そこが違う。

映画「ミッドウェイ」は前作(第2作目)となる1976年のよできがよすぎていて44年後の作品で名監督エメリッヒがどう前作を超えた作品にするのか楽しみにしていた、、、


空母エンタープライズの戦歴についてはよく時代考証がされている。


しかしながら被弾した一式陸攻がエンタープライズに体当たりしようと突っ込んでくるのを甲板上のSBD雷撃機の後部銃座で撃墜するシーンは先日配信されたヒストリーチャンネルのアメリカの空母エンタープライズのドキュメンタリー番組の構成のそのままのパクリだし、くふうがみられない。


日本の空母に急降下爆撃して爆弾を命中させるドーントレスのエースパイロットは六本木の深夜を遊び歩いている不良外国人そのままだったし、キャスティングも雑で冒頭のアメリカ人のヒーロー志向が全編にわたって鼻につく。


アメリカ映画特有のどんな映画でも無理くり色恋を絡めようとするやすっぽいおかざりのシナリオも見るべきところなし。

ただしこのシーンは印象的だ。CGの進歩に脱帽。


いちばん違和感があったのが何機ものゼロ戦が旧式(アメリカでは最新型)のドーントレス雷撃機の「後部銃座の銃撃で火を噴き撃墜される」シーン。

前作、前々作ではお目にかかれないシーン。年を経るとこうやって原作が書き換えられていくのだろうか。


何十年戦記を読んできたがが命中精度の低い、しかも鈍足の雷撃機の後部銃座でこの海戦で何機も撃破されるなど聞いたことがない。

「徹底的な時代考証をして」制作をしたというがほんとうだろうか。これは史実で確かめたい。(大空のサムライの坂井三郎は密集して編隊飛行するドーントレスに後後ろからドーントレスとは気づかず襲いかかり被弾する、ということはあったにせよ)


ナチスとの戦いを描いたハリウッド映画ではドイツ兵はアメリカ軍にいいようにこれでもかとやられる。それに対していまのドイツは沈黙している。どんなやられ方をしたとしても抗議しない。ハリウッドのユダヤ人たちが映画を復讐を込めて製作していることもあろう。故障した1両のシャーマン戦車で何百人のドイツ兵がいいようになぎ倒されるあり得ないあきれた映画もあった。


ナチスがやってきたことへの戦後のドイツ国民の深い反省がそうさせる。

それに対しおやじはアメリカにぼこぼこにやられていながら帝国海軍のためにあちこちに食いついてぶちぶちぶつぶついまだに未練がましく小言をいう。

ゼロ戦の1機や2機、どうだっていいやないねというかもしれないがそうではない。

邪馬台国のことならともかく、ニューヨークを空爆する「富嶽」の空想戦記ならともかく史実には忠実にどこまで迫れるかとことん追求してもらいたい。


そして、最も違和感があったのは、アメリカの司令官たちが「この海戦に敗れればアメリカは負ける!」と叫んだことだ。

ぜったいに「叫び」はしないと思う。

アメリカ人はそんな国民だ。


ミッドウエーで日本を空母が4隻失わなければ戦況は違った、という。確かに違っただろうがアメリカは当時10倍の国力があり、豊富な資源と圧倒的な物量、そして次々と新兵器を開発していったアメリカが日本を圧倒するのは時間の問題だった。

https://midway-movie.jp/

ミッドウエイ



これが豊悦だとわからなかった。お坊さんになってしまったかのような。


そして、國村隼演ずる南雲忠一中将はたしかに作戦指揮の失敗の中心人物であるが、この映画では作戦前から戦を知らない能無しの愚将として描かれている。あんまりだ。

光っていたのは浅野忠信演ずる飛龍艦長の山口多門だけでほかの司令官や参謀たちは作戦の失敗を最初から知っていたかのように最初から死にゆく死神のように暗く生気なく描かれている。


いちちやることなすこと癇に障るわ、疑問に思うわ、釈然としないわ、後味の悪い消化不良の映画だった。

CGが進化したからといって、優れた映画ができるわけではなく要するに「誰が原作を書き、だれが脚本を手掛け、だれがメガホンをもつか」にかかっている。