四日市 昭和の名店が元気

北九州小倉から東京の自宅に年末からしばらく過ごすために車で帰る。飛行機で帰ればらくちんなのに、わざわざロングドライブを選ぶ。四年半の北九州生活でコンビニに行くのも車でないと嫌になった。人馬一体、というが人車一体になってしまった。荷物も持ちたくなく、坂も上り下りしたくない。

安全運転のために1050キロの高速道路の行程の中程で一泊することにしている。どこで泊まるか、日本地図を見ながら眺めるのはそれだけで楽しくいいものだ。

これまでの停車場は京都、大阪は当然ながら広島西条、姫路、赤穂、岡崎、豊橋、浜松、富士、御殿場、沼津。今回は「四日市」にした。山陽自動車道から名神、新名神、伊勢湾道、新東名道経由ということもあって、小倉から660キロの四日市は程よい場所だ。深夜2時に出発して安全運転に努め、時速80キロを守りつつ、3回のパーキングエリアでの休憩をとりながら走って、到着は正午前。なんの情報誌を持たず、ネットで検索もせず、近鉄四日市駅周辺の商店街をふらついてみる。この街は工場と煙突だらけの煤けたまちで作業着の似合うわが北九州の景色と重なり合う。歩いている人も工員風の男たちが多く、大阪京橋ほどではないがよたって歩いている。なんか、ほっとする。

そして、アーケード街には昭和の姿そのままの現役の店があちこちにちりばめられていて、ぐっと胸を掴まれる。蛤の佃煮?の専門店、古くからのおもちゃ屋。第二次大戦の戦闘機がショーウィンドー一面に飾られているプラモデルやの店先ではおばちゃんが閉店の話をしていた。きっと、ご主人が作った戦闘機や爆撃機。見事な仕上がりの塗装。お亡くなりになったのであろうか。

東海道53次はいまと違って桑名宿をすぎて、四日市宿となる。亀山、土山、と続くのでいまの新名神高速がほぼそのルートになるのだろうか。いまは工場城下町ではあるが歴史のあるれっきとした宿場町なのだ。

地元の人たちに愛され続けて幾年月、私と同い年の食堂、中華料理の店がある。

ショーケースのラーメンのサンプルはホコリをかぶり、色あせて、さらにスープがずれている。でも、それでいいのだ。朝からまともな食事をしていなかったので、ここでお昼をとることにする。

2時過ぎというのに、入れ替わり立ち代りお客さんが来店する。

油で煤けた店内の古びたメニューがこの店の歴史を物語る勲章だ。時間は早いが餃子とビールを注文する。

やはり、大瓶!600円。嬉しい!大将は肉団子だの、野菜炒め、餃子、ラーメンなど次々と料理を作るつくる。

高速道路のサービスエリアでは、パンをかじったり、コンビニのおにぎりとかでその場しのぎだったので、ビールが心地よくしみる。高速の食べ物屋さんでは、ちゃんと食事をしようという気持ちにならない。それもそのはず、それはちゃんと食事しようとしている人がいないからだ。スキー場のカレーやラーメンと同じこと。違うかもしれないが冷凍ものやあらかじめの作り置きをかんたん調理でだすだけなんだろうなとどうしても感じてしまう。この、四日市の人たちに愛されたであろうお店の、のれんやお品書きを見ていると、みんな、ぜひうちにきて、食べてくれという心意気を感じる。そんなこと思いながらいただいていると市民ならずとも誇らしくなる。

しばらく駅の周りを探検して街の様子を味わうのは何よりの楽しみだ。

そして、きわめつけはこの居酒屋食堂。

お一人の常連さんだけでなく、仕事帰りの男たちや若いアベックで店はほぼ満席。刺身だの、ポテトサラダだのケースに並べてある小鉢などを選べる。嬉しくなっておばちゃんとしばらくお話をする。おばちゃんによるとなんでも四日市は味付けが濃すぎて、大阪のわしらには味付けが合わんとぼやいている。味付けが濃いのは工場と煙突の街のなごり。三交代で汗をかきかき働いていたからだ。マグロの刺身とマカロニサラダを注文する。そしたらなぜか懐かしの赤いソーセージがやってきた。あのタコにするやつ。しかも塩と胡椒がこれでもかと振りかけられている!少しのつまみでたくさん飲めようにだ。ただ、どうしたら、ソーセージに聞こえるのか不思議だけど、70歳くらいのおばあちゃんが、ソーセージ、と聞こえたならそれはそれで正しく、つき返すなど無礼なことはとてもできない。ただ塩辛すぎてとても、食べられん!たまらずおばちゃんに、「お湯で流して」と頼む。おばちゃんは、「注文の時にかけんでと頼まんといかんよ」という。「わしははじめてじゃけー」となぜか広島になって返す。「はじめてなんかぁ?」とおばあ。なじんでるようにみえたのかなぁ。こんなやりとりがたまらん。昭和の時代とお話してるみたいで。広島福山の「自由軒」以来だ、はしゃいでしまう。

もう、何十年、この店でいくたの兄弟姉妹がお父さんやお母さんの腕にしがみつき、ぶらさがって、プラモデルやお人形、おもちゃをねだったことだろう。心待ちにして、約束のおもちゃを買ってもらった時の嬉しさ。それは悲しいかな、大人になって、新車を手に入れたときの嬉しさとはくらべようがない小躍りするような嬉しさ。店内は上から下までおもちゃであふれて、もう、目が移って仕方ない。

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作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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