2年後の東京オリンピックに私も参加する。
ボランティアとして、来日中の外国人の東京観光のお手伝いをする。
(以下「Tokyo Free Guide」公式HPより)
定年退職したら何かしら社会活動、社会奉仕をしなくてはならない、と悶々としていた。横浜「鶴見法人会」が社会貢献活動の一環として主催した福島原発事故で埼玉に避難している双葉町の人たちへの炊き出しにお手伝いで参加して以来、何かしらしなくてはいけないと思っていた。その後熊本の大地震で支援物資を届けたりしたけれど「税理士」と両立できる活動はないか、あれこれ考えていたけれど、正確には考えたふり、していたがその都度浮かんでは消えしていた。
北九州に単身赴任している間の4年間、年を追うごとに東京の外国人観光客が増え続けているのを実感していた。特に浅草、渋谷はあきれるほどで、困っている外国人も多いだろうなといつも思っていた。食事、トイレひとつとっても。さいわい、東京では渋谷、新宿、浅草、麻布などの都心での勤務経験もあり土地勘もある。裏道も隠れ家もそこそこ知っている。夜な夜な通った飲み屋街も(笑)
大学卒業前後、放浪とまではいかないが、東西ヨーロッパ、イギリスを一人でふらついて歩き回り現地の方々にもよくしてもらった経験もあり、もしかしたらお返しができるかもしれないという思いもある。
英語は資格試験も受験したこともなく決して堪能ではないが、渋谷の進学塾で中学生相手に講師もしていたし苦手意識はない。経験といえば、高校生だった息子のホームステイでお世話になったオレゴン州スイートホームのご家族の中学生の男の子を東京の自宅で2週間お礼の受入れをした程度。京都のお寺や伊豆の海と温泉に連れていったり。
NPO法人。交通費などもちろん自分持ち。500名ほど登録者がいる模様。
採用にあたり応募条件と試験がある。東京近郊居住者で20歳以上。
- 語学力
- 自主積極性
- ホスピタリティー精神
- コミュニケーション能力
- 一般常識
- ガイドとしての知識
- 基礎的なパソコンの知識
申し込みは8月。あくまで採用が決まれば、のおはなし、、、第二外国語は「ドイツ語」、少しだけ学校に通った「ロシア語」、上海・北京に行く前に特訓した「中国語」、同じく釜山旅行を前にしての「韓国語」(これはハングル文字に嫌気がさして放り投げた!)、そして北九州弁と出雲弁、けっこう話せるんだ!
以前京都のお寺を訪れたとき、外国人相手4人に40代くらいの東海林さだおの漫画に出てくるようなおばちゃんがガイドしていたので、いっしょになってどんなふうにガイドするのか聞いてみたことがある。広間の「あの一段高くなっている座敷は身分の高い人しか座れない」ということを言いたいらしかったがそれはそれはひどい英語で横で聞いていて聞くに堪えなかった。「upper」というべきところ「upたたみ」「up up」などと絶叫し、アップアップしていた。熱意はあるようだけど、かわいそうなくらい。それでも、彼ら彼女らは何とか理解しようと大きく身を屈めて耳をそばだて、ときおり、「Oh!」とか「Ah!」とかおおげさにうなずいてその熱意に応えようと一所懸命だった。会話の巧拙よりもこのおもてなしの気持ちの方が大切に違いないのだが。
観光ガイドのボランティアといえば聞こえはいいが、自分の楽しみの所詮延長線上にある活動。ほんとうのボランティアは、ほんとに困ってる人たちのお手伝いをすることよりほかない。災害で家を失った人たち、介護、貧困、病気、障害、そしてそのご家族。
介護保険や障害者への年金など、制度のしくみについての議論はあるだろうけれど昔からすれば大変な進歩であり、私自身その制度の恩恵を存分に享受してありがたさが身にしみている。
それでも、国や自治体の手が届かない手助け。すきま。土砂で埋まった家の土砂のかき出し、子供食堂や食材の買い出し、お年寄りの病院への送迎など。
こんな手助けが大切なことをわかっていながら、本気で考えない人はいいわけばかり拾い集めて逃げ回る。いずれ逃げきれなくなるであろうことを予感しながら。
おいしいものを食べ歩いて、全国を観光して回って、何が楽しいとふと悲しく思うことがある。ただのおばかなグルメレポーター。いけなくはないが、それだけでは淋しすぎる。「仕事」を隠れ蓑にしてごまかしてきた自分。それが「定年」で素っ裸になって社会とのかかわり、どう向き合うか、人としての在り方が試されることになる。まずは手始めに、この楽しみ半分のボランティアでどうかお許しください。