都電荒川線の終点駅三ノ輪からまっすぐ伸びる「ジョイフル三ノ輪」のアーケード。下町の荒川区南千住にはこれぞ「昭和の下町商店街」とうならせる商店街がある。昭和はおろか江戸の寛永年間の昔から「下谷通新町」として賑わっていたといいます。
東京に唯一残る路面電車。荒川、王子、池袋経由で早稲田までことことがたがた走るかわいい電車でファンも多い。
「江戸東京まち歩きブック」によれば、この写真館になっているビルはこの電車を運営していた「王子電気軌道」という私鉄の「王電三ノ輪ビルディング」(昭和2年に建設)であったということです。王電は戦争中の昭和17年に東京市に買収された歴史があります。
さぁ、歩いてみましょう。
まさしくこれが昔ながらの昭和の生粋の正統派商店街で、目障りなお店がない。奇跡に近い。
地下鉄三ノ輪駅の近くには「尺八」専門店などもあり台東区らしさを見つけることもできる。
おやじを狂喜させたのはこのパン屋さん。
「オオムラパン」
飾りのないシンプルなガラスのショーケース、アルミのトレー、総菜パンが一個135円からの価格設定、嬉しさのあまり涙がでそうになる。
店頭に赤い札が下がっていてそれぞれのパンへのキャッチコピーが書かれているが、なんて書いてあるか読みずらい。
「チーズパン、とろけるチーズ グゥ」「カレーパンビッグな味のカレーパン」「トンカツパン 味ジャンボ 身体もジャンボ」といった具合だ。
昭和の商店街はどこもそうであるように従業員を雇わず家族経営で、家賃の支払いがないところしかやっていけない。おばあちゃんも現役の看板娘で真冬も真夏も吹きっさらしの店頭に立ってがんばる。
がんばらないといけないから元気でいられる。外で働くから寒さに強くなる。なにより息子のつくるパンは日本一安くておいしいという自負や心意気が体をしゃんとさせる。
きっとこのおばあちゃんが若いころの昭和の30年代には10円玉持った鼻水たらした子供たちが「おばちゃん、コロッケパン」といって裸電球のまわりに何度やってきたことだろう。
買い物時にはお母さんに手を引かれた子供たちがこのパン屋さんにやってくる。
食卓を囲み正座しておかっぱ頭の女の子が、坊ちゃん刈りの男の子が取り合いしながらオオムラパンをおいしい、おいしいと食べるのを嬉しそうに見つめるやさしいお母さんの姿。そんな情景がなつかしく目に浮かぶ。
そして、ここで大きくなった子供たちは三ノ輪の商店街のことを大人になっても忘れず、お店のおばあちゃんの健康を気遣い、お店のおばあちゃんは子供たちの成長をほほえましく見守ってきたであろう商店街。商店街が人を育てていた時代のむかしのお話。
商店街の左右には朝顔の似合う細い路地があって、いかにも下町らしい。であれば、もしかしたらあれもあるかもしれない、、、
やはり、あった!銭湯。浸かっていこうかとも思ったが、まだ3月の立春前で寒く湯冷めがこわい。
夕暮れ時に洗面器にタオルとせっけん持って、湯につかり、蕎麦をたぐり一杯やる、、、至福の時間だろうな。
おあつらえ向きの「かも南蛮」が売りの蕎麦屋が。
店頭のお品書きには英語、中国語、韓国語、そしてドイツ語で「カードは使えません。現金のみ!」と手書きの文字が添えられている。
一眼レフもった白人の長身の男たちと何人もすれ違う。彼らがディープなここまで探検しにきていることが不思議に映ったが、思い出した。
是枝監督がカンヌで受賞した映画「万引き家族」のロケ地のひとつになった商店街だったのです。
山田洋二監督同様、家族の普遍性をその時代に溶かしこみ描くことのできる是枝監督。
西新井大師門前の「かどや」同様、なんともしぶいロケ地を選ぶものです。世界中の人たちが珍しい極東の景色として好奇の目で見たことでしょう。
路地のあちこちに祠がある。さらにこんな店も。
すでに絶滅したかと思っていた駄菓子屋。しかし、電停横の「ミミ」の前ではなにかをたくらんでいるふうの少年たちがたむろしている。
古びた木枠の手で持ち上げるガラスケースの中にはこどもたちのわくわくする思いがつまっているのだろうか。荒川区日暮里や尾久のあたりは全国の駄菓子屋に卸す問屋さんがたくさんあったということです。
いなかもんのおやじも東京に移り住んで幾年月、幾星霜、40年近く仕事や遊びで歩き回ったが、それでもほんの、ほんの、江戸東京のちょっぴし、ほんの指先くらいしか知らない。
降りたことのない駅は数えきれない、定年後とはいえこれからどのくらい知らない街の駅に降りるのかわからないけれど、降りることができるのか見当がつかないけれど、昭和を求めて探検していきたい。
2019.3.18