師と仰ぐシーナさんの刊行記念イベントが神田神保町の「ブックス東京堂」6階ホールで開催された。パイプ椅子120席ほど。サイン会もありこれでほどよい広さかもしれない。
刊行記念とはいえトークはいまシーナさんが話したい内容となり、シーナさんのまわりで増えてきた「死」の問題についてに多くを割かれた。
「2030年問題」、団塊の世代170万人が一気に死を迎え、火葬場の処理能力を超え行政も打つ手なく、「焼き」に5日待ちなどの事態が予想され、墓の問題など混乱が予想されること。
隠岐の島の無人島への散骨、ガンジス川を流れてくる死体のことなど今日の「師」は天幕生活よりも「死」への思いが強く、私が先週読んだ「ぼくがいま、死について思うこと」(2013年)の刊行記念にふさわしい内容だった。結果的に私はちょうどjきょうの講演の「予習をしていた」ことになる。
サインをしてもらうひと時は作家とひとことお話ができる千載一遇のまたとないチャンスで、すかさずこの著作にでてくる死んだあと「ゆうれいになってでたいか」とかを話題にした。
するとシーナさんはびくっとしてサインの手を止め師の前でびびって緊張している私を見上げ、「いまその時期をむかえてるからね」とご反応をお示しになり、握手を求められた。
と「焚き火人生」で述懐されている。
会場に来ていた少年とお母さんに「旅をしなさい、旅をさせなさい、野外で寝てみなさい、そうするとかならず強くなる」と力強くお声をおかけになった。師にはクラーク博士が降臨していた。
おやじの場合、この1年間、いわゆる「旅の宿」に泊まったのは全体の1割くらいのような気がする。「プチ家出専用車」に「ちゃんとした屋根や寝具がある」かどうかは疑義のあるところであるが、少なくともテント生活には冷暖房もなく季節の雨風にさらされ、カレーライスやとん汁づくりがあり、焚き火を囲んだ人生の語らいがあり、釣りあり歌あり踊りありの原始生活が基本だからそのスタイルは根っこから違う。
シーナさんの著作は200をゆうに超え本人は「粗製乱造作家」と自称しておられる。年に8作刊行するほかに連載ものも多数あって締め切りが重なると本日のように朝の3時まで執筆で、寝たら今日の講演に支障が出るとそのまま起きていたという。「コンビニ作家」とも自嘲しておられる。まっとうな作家なら年に数作が限度であろう、いいものを世に出すならばこれが限界ではないかといわれる。
ただ、サラリーマン生活をしているとき読んでいたシーナさんたちの「あやしい探検隊」の焚き火や釣りや無人島生活がとてもうらやましかった。たしかに推敲を重ね練り直す内容ではないかもしれないが、記事のひとつひとつがまぶしかった。
チベット、インド、北欧、アマゾン、マゼラン海峡など世界各地を旅するようになって地球規模にスケールが大きくなったけれど、そこから見てとれる日本の暮らし、日本人の考え方のへんなところ、誇るべきところ、幼稚さなど伝えてくれてそのつど共感し膝を打っていたものだ。世界の人々の暮らしをニュートラルにとらえ、上下、貴賤で判断しない。これはシーナさんの哲学として一貫している。
洗いざらしのジーンズとTシャツが似合う。「英国屋」で仕立てたスーツを着たらまるで「じじい七五三」だったとおどける。
おそらく新橋の居酒屋飲んだくれサラリーマンも同じようにシーナさんにあこがれながらうだうだ「ここだけの話」にあけくれていたはずだ。
昭和19年生まれのシーナさんの語り口は昔と変わらず淡々としてアジることも声を大にすることも感情的になることもなく、これっておかしいのではないか、これは余計なのではないか、つまり日々生きる上で大切なことはなんだろうという素朴な疑問に答えてくれているような気がする。
神田神保町の古書店街。
この界隈を歩くときは時間に余裕をもって覚悟してでかけないといけない。