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別府 志高湖キャンプ場

 

別府市内から30分ほどで阿蘇くじゅう国立公園の湖畔にやってこれるなんて!

管理事務所で「混んでますか?」と尋ねるとこの日は「10組」とのこと。

駐車場代の450円とひとり300円の利用料でキャンプできる。


 

爽やかな高原の風が心地よい。

この、サントリーのペールエールは爽やかでスッキリしたのどごしで、ファンになりました。

猛暑日の今日。



雲の鯉のぼり、いやいやめざし^_^

 

森の映画館。今日は寅さん

マドンナは榊原るみ、第7作 1971年 おやじ15歳のときの作品

山田監督は当時の風景、世相、庶民の暮らし、人々の顔を意識的に切り取って記録している。この作品では東北から東京への集団就職と挫折が描かれ、寅さんととらやのみなさんの奮闘が涙を誘う。

 


由布岳の夕暮れ

天に向かって屹立する孤高のたたずまい。いかにも登るには苦労しそうな斜面。斜度30度に近いのでは?
スキーだと絶壁にあたる、とても楽しく登れる山ではないだろうな。

松ぼっくりのあかちゃん

青々としてかわいらしい。

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待たせたな仙崎 2019.7.28

 

 

約束通り再びやってまいりました。長門市仙崎。ここから出港したケンサキイカ夜釣りもなつかしい。

梅雨明け、台風明けの日曜日とあって道の駅「センザキッチン」はたいへんにぎわっている。よかった。はなばなしくオープンしたのはいいけれどしだいに元気がなくなっていく施設をこれでもかとみてきたからね。


この長門の景色が仮住まいへの引っ越し、1か月20回にわたるコンテナへの搬入でへとへとになったおやじをいやしてくれる。

タンスは4棹、本棚無数、収納ケース、段ボールは数え切れず。サカイさんには段ボール最終的に150箱をもってきてもらった。これでコンテナ奥の半分。

基本パックでは50箱のところ、気持ちよく100箱追加で無料で持ってきてくれた。サカイの男たちはみないいやつで力持ち。たいへんな仕事なのににこにこして作業している。社員教育の秘密はなんだろう。2人のうち一人は話し好きのネパール人で。カトマンズのことやネパール料理のことを教えてもらったりした。

使用済みの段ボールは無料だということでお願いしたら、もったいぶることなく2回にわたり新品を届けてくれたことに引っ越し実績日本一の秘密を見たような気がした。

8畳サイズでいっぱいいっぱいだった。建て替えのさいの仮住まいへの住まいの引っ越しは実はたいしたことはなく、ベッドやピアノ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンの大物を業者にお願いすればあらかた終わりで、仮住まいに持ち込まず捨てるもの、保管するものの仕分けとこのコンテナへの搬入が引っ越しのメインイベントだった。判断を伴うその仕分け作業はほかの人に手伝ってもらえないのだ。仕事をフルタイムでやっていたら音を上げていたのは間違いない。

年代物のタンスは処分するのにはもったいなくて骨董品として使ってくれるお店を探すことになった。

センザキッチンには世にも珍しい「木の美術館」があって遊びスペースでは子供たちが木とふれあうことができる。

ショップのぬくもりある木の玩具、おもちゃ。いい値がついている。

でも、あたりまえだと思う。陶芸と同様職人が何時間もかけて手作りしているのだ。

DAISOが私たちの日常品を100円で提供するようになってとても助かっているのだけれど、一方で台所用品、食器、文具にしてもおもちゃにしても日本人の手作りのもろもろのものを駆逐していって、身の回りはチープなものであふれるようになってしまった。


この道の駅のインフォメーションには案内嬢としておばあが二人で座っている。(中央ガラス越し)どのようないきさつがあって選考がなされたのかその経過は知る由もないのだが、安倍総理のおひざもとだけに「忖度」があったやもしれない。

近くの温泉施設を教えてもらおうと忖度おばあシスターズにだめもとでたずねてみる。すると二人のおばあの目が光って、それが「待ってましたのサインであることを知った。すかさず長門日帰り温泉マップを差し出し近くの3つある施設のうちのひとつ萩に向かう途中の「湯免(ゆめん)温泉ふれあいセンター」を勧めてくれた。(黄波戸温泉、長門湯本ー現在建替えのため休業中)

そこは「至福の空間」であるという。いままさに温泉にゆったり浸かっているかのようなゴクラクな表情で「とてもいい施設で500円で入れる」とうっとりしながらいう。さらに「ここから13分でいける」といって二人して背中をおす。その眼はここでいかないと後悔するよという老婆心(当然だが)に満ちていた。

そのときこのおばあたちは忖度で採用されたのではないとしみじみ確信した。地元のおばあたちが輝き活躍する場がここにある、と感心した。これが若くてきれいな受付の子なら「至福の空間」とは間違ってもいわない。若くてきれいな娘の「至福の空間」は異性がらみの別なところにあって温泉センターでじじばばにまじって至福にひたったりするひまはないからである。


仙崎港の朝日とごほうびの海鮮丼(豊北道の駅・道の駅人気投票で日本一になった)

この日は「よこわ」(本マグロの幼魚)が入荷している。近くの青海島あたりであがるのだ。松方弘樹とその仲間たちが本マグロを求めて大挙してやってきてから漁場は荒れたという。私としては地元丼に北海道産の「いくら」とノルウエーからやってきた「サーモン」のよそものはいらん、と思っている。ちゃらちゃらお化粧しなくてもいいと思っている。


SA福山ー43

道の駅センザキッチンー44

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キスマイ?キマスイ?

 

おやじはいまのところ元気だ。芸能人の名前が顔ははっきりうかぶのだけどすぐにでてこない症状をのぞいて。先週も東京から深夜新東名、新名神、山陽自動車道1050キロを疲れ知らずで爆走して北九州の別荘にやってきたばかりだ。


そして早朝夜明け前から別荘で講習会向けのパワーポイントの資料作りをしている。パワーポイントづくりでさらにパワーをチャージした。ポータブルバッテリーも購入したし疲れたら背中のコンセントにさしてこれも使える。


定年後のじじばばは大きく、動けば動くほど元気になっていくタイプと、動いた分だけ疲れがたまっていくタイプの二つにわかれるようだ。

泊りで遊びに出かけて家に帰ってきて、「あーっ、家がいちばんいい!」とほっとしたように寝そべる、ことはありませんか。おやじの両親がそうで、だったら出かけんかったらいいのにと幼心に思っていたものだ。


しみじみ昔をなつかしみ、思い出のなかだけで暮らす人、暮らせる人と思い出をいまなお量産していく人たちとに大別される。

おやじはいまその分かれ道にいて、どっちに転がるかわからない。昔は蓮舫がその仕分けをしていたようだが、対象はたくさんいるからAmazonのような物流センターの自動仕分けシステムが必要になりますね。


おやじも来月63歳となる。だからどうしただけど。還暦過ぎたら、そして年金(特別支給分)もらうようになったらもうその後はなあんも関係ないもんね。たしかに還暦で少し心がざわついたものの、孫が生まれて「あぁ、ついにものほんのじじいになったんだ」と腹もすわった。あとはこわいのは老後資金の2000万円不足問題とごまかしの年金物価スライド制だけだ。


ところが、このごろ世間とのビミョーなずれを感じるようになった。そいつは静かにじわじわと気づかずに忍び寄ってきていた。とくに芸能界は「吉本興業」がのさばりすぎて、バラエティーも見なくなっていたら、とうとうそれが現実のものとなってしまった。


Queen同様、ラジオは心の友で部屋にいるときはリスラジ 全国のラジオ無料聞き放題常時レイディオをガーガ、ガガとかけ流ししており、音楽は相当ついていけてると自信をもっていたのだが、

キスマイ」のことをずっと「スキマスイッチ」のことだと信じていたのである!

そう、あの、グループ名を考えているときに偶然「窓のすきま」と「電気のスイッチ」が目に入ったから、それをユニット名にしたあいつらである。

なんで、そんなあやまちが起きたか、考えてみよう。

まず、世の中なんでもかんでも4文字に略しすぎるいかがなものかの風潮があることがあげられる。


そもそもエイベックスのプロデューサーたちはなんでまた「Kis-My-Ft2 」なんていう読めもしないアイドルグループ名にしたのか。

 

「あらし」「スマップ」ならこんな無用な混乱は起きなかった。略す必要がないから。

ひとたび「あらし」と「スマップ」が合流してしまうと十中八九「あらすま」となるであろう。「スマップあらし」では詐欺グループのような反社会的勢力となってしまい雨上がり謝罪会見が必要になってしまう。

「東京三菱UFJ」銀行も罪が深い。「とうみつ」なんていうあまったらしい呼び方をしなくてはならなくなった。


 

それがそもそもの間違いのはじまりでおやじどころかファンたちをも「いやあこまった。なんて呼ぼうか?」と混乱困惑させることとなってしまい、「キスなんちゃらかんちゃら」といちいちいえないものだから、芸能界のシンガーソングライターの重鎮、大先輩をさておいて「キスマイ」なんてやっちまったんだ。

そのあおりをうけたのがおやじたちで、あまつさえ「トリセツ」だの「レンチン」だの日本語の簡略化に怒りいきまいていたところにもってきてこの「キスマイ」だ!


まてよ、「スキマスイッチ」なら「マス」じゃね?

2019.7.19

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江戸情緒が残る谷根千をを巡る~TCG研修


東京シティーボランティアガイド研修7月例会は14日に浅草地区とならんで人気のエリアである「谷根千」(やねせん)~谷中、根津、千駄木~を3時間半の行程で行われた。

集合場所のJR西日暮里駅改札前には5班にわかれた会員70数名が集結し、改札口を占拠、あたりの人々はただならぬ異様な光景に目を丸くしていた。

香港で刺激を受けた中高年の「暴動」、あるいは「大人の遠足」と間違えた人もいたかもしれない。参議院議員選挙を控え「年金制度改悪反対」デモならそのままプラカードもって歩きだせばいい雰囲気だ。


しかし、そんな香港の暴動でも、お気楽な遠足でもなくボランティアガイドとしての実践研修で、とくに新入りはリーダーのもとに集められ容赦のない指導が行われた。現役とリタイヤ組の境界線上にいる新人ではあるがみなひとしく真剣だった。雨の中メモを取り一言も聞き逃さないよう耳を傾ける。


西日暮里駅から道灌山に登る。江戸時代からの眺めのいい名所。傘をさして、リーダーの前に集まるとさっそく容赦のない注意がとぶ。

「傘をさしたければ一番後ろにまわること!前にいる人は傘はささない!」

傘は透明なビニール傘が望ましい。

「神社仏閣の境内に入るときは脱帽し一礼すること。本人の思想信条は問わない。やってください!」

観光客のようなだらだらぞろぞろ歩きではなくみな移動がすばやい。

「諏訪神社」ではなく「諏神社」。そのわけを諏訪神社の歴史からひもとく。


谷中霊園に眠る政財界、画家などの著名人たち。その人たちの知識が必要。たんに「だれのお墓です」ではなく、その経歴やエピソードを交えて説明する。なんだか、「ブラタモリ」ふう。


横山大観の墓の前ではすかさずどんな絵を描いたか、写真を掲げる。そして作風のほかどこに所蔵されているかまで付け加える。

歴史にのめりこんでいるおっさんや、自分より詳しい歴女を相手にお話しするのだからたいへん。「そんなの知ってるよ」と軽くあしらわれたらおしまい。だから、事前の準備と地理、歴史、風俗、暮らし、絵画、政治、宗教、建物の構造に至るまで引き出しにつめておいて説明しなくてはならない。


加藤リーダーは「徳川慶喜」と「勝海舟」あたりに魂をとられた人で何時間でも語れる、という。徳川慶喜を快く思っていない私にいわれたのかと思ったのは「鳥羽伏見の戦い」で船で逃げていったことについて、あのとき逃げずに戦っていたらフランスとイギリスを巻き込んだ国を二分する戦いになっていたであろう、聡明だった慶喜の先見性である、とのくだり。

とくに幕末から明治にかけて歴史が動いた舞台となったこのエリアは史跡の宝庫。


徳川慶喜の墓。正室、側室の墓。説明する際にはA4のクリアーファイルに写真を用意しておく。それも若い時とのと晩年のときのと。

もちろん慶喜が水戸の出であること、当時の攘夷思想を受けていることなどを添える。


江戸時代以前に創建された寺院は多くなく、室町時代にここにあった屋敷に立ち寄った日蓮上人が自分の像を刻んだことから、それが奉納されて寺院「天王寺」となったものだ。(日蓮宗から天台宗にかわった歴史をもつ)

この寺では「江戸三富」のひとつで「富くじ」(宝くじ)興業が開催された。1両(いまの10万円に相当する)で購入したものが100倍の100両になったという)

もちろん日蓮が安房の国出身であることからここへ立ち寄った、日蓮宗の戒律の厳しさ、将軍家とのかかわりなどの説明も加える。「厳しい」というだけではなくどう厳しいのか、伝えなくては意味がない。


「五重塔」と幸田露伴、そして昭和32年7月の放火心中事件での焼失、放火したのはどういう人か、そこまで入っていく。48歳の男性と21歳の女性。洋裁店に勤めており金の「指ぬき」で身元がわかった。

戦前甘味処の店主が植えた「鉢植えのヒマラヤ杉」が90年たってこんな大木になってしまったというやれやれな史跡。


江戸時代から続く酒屋。ここで「角打」したい、、、

有名な「谷中銀座」ではおいしいメンチカツの店の味と値段の違いのまで教えてくれる念の入れよう。

それにしても欧米系の外国人の多いこと。お店の英語表記は当たり前になっている。浅草を卒業した人たちがやってくるらしい。

わたしはといえば東京在住41年ではじめて訪れたエリアであった、、、


ほかに「江戸の埋め立て」「江戸時代の川、治水」「あかじ坂」「旅館澤の屋」「へび道」「大円寺」「岡倉天心」「山岡鉄舟」といったキーワードを交え3時間半延々とガイドしてもらった。もちろん実際にガイドする場面では「簡略に」「手短」に1ヶ所3分以内での立ち話が基本となるわけだけれど、今回は研修生のためのガイダンスとして丁寧な説明となった。


教訓

①ちょっと知っている、よくご存知ですね、くらいの知識ではまったく役に立たない、ガイドを名乗るのであれば「幅広く、深く、たてよこななめの知識」が必要である。

②「自分の得意分野に引きずり込む」絵が好きなら絵の世界に、建築なら建物の世界に、風俗なら風俗に、幕末なら幕末、それぞれの切り口で絞ってガイドするのがいいかもしれない。あれやこれや専門外の知識ではこころもとない。

③いまのままだとガイドは無理かもしれん、、、


「夕焼けだんだん」

別名「夕焼けにゃんにゃん」といって猫がトレードマーク、イメージキャラクターとなっているが猫を一匹も見かけなかったのが心残り。

2019.7.14

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大容量ポータブル電源がやってきた!

なぞの中国製ポータブルバッテリーが突然故障した。お付き合いしたのはちょうど1年ほど。中国製だから仕方がないかとへんななぐさめかたをして自分を納得させる。そのおかげといっちゃあなんだが日本のメーカーの、しかも容量がこれまでのAudew60000の2倍以上の124800ミリアンペアアワーのすごいやつを導入することができた。故障しなかったら購入しないもんね。「中国製」のポータブルバッテリーはAmazonの書き込みでもわかるようにいいのもあれば、不具合、突然の故障、発熱、アフターケアなし、と散々な評価をされているのもある。新入りのこいつは52290円と高価だがわたしのカーライフの必需品。働いて稼いでなんとかする。


このパワーだと車載用冷蔵庫も使える。モバイル機器の主流になりつつあるTypeC端子がついているのは2019年の最新型であればこそ。BLUETOOTHスピーカーまでつけてしまって、野外キャンプで踊ったり歌ったりするためか?

決め手となったのは大容量になったことに加えて車のシガーソケットから走行中に充電できること。これまでの謎の中国製だとAC電源から充電しなくてはならなかったため、移動2日目あたりでコンセントをさがしチャージをする必要があった。これは大きい。

浮上することなく潜航したまま電源を確保できる潜水艦のようでたのもしい。この夏予定していた北海道めぐりは九州行きと重なり、片道2000キロ以上の走行となることから見合わせることにしたが、この電源は北海道でさぞ活躍したことだろう。

サブバッテリーも積んではいるが手元の予備電源も欲しい。

いやはやいろんな使い方をする人たちがいるものだ。

ラジコンの飛行機を飛ばす(富士五湖の西湖でカヤックしていたときに見た零式三座水偵をがぜん飛ばしてみたくなった!)、

ニューヨークを爆撃するために開発された幻の6発の爆撃機「富嶽」までいる!

扇風機を使う、テントでのキャンプにもいい。

冷蔵庫でビールをきんきんに冷やす、夏はこれで決まり!

電気毛布、ポータブルシャワーも使える。順番待ちなんてやだ!

LEDライトもついている。懐中電灯モード、SOSのストロボ点滅モード、わずか5Wでも工事現場なみの明るさになるハイライトモードの切り替えあり。船に積んでおいて遭難したとき、熊に襲われたときなどに役に立ちそう。

「日本製」の2019年の新製品で安心、といいたいがこればかりは使ってみなければわからない。

ただ、ごつい。重い。かわいさゼロ。本体5.5キロ、バッテリーをつけると8キロにもなる。これを持ち歩くにはおやじのようななよなよした男では無理。それなりの根性がいる。ふだんジムで8キロくらいのダンベルでトレーニングしているからドライブの合間に上げ下ろしして筋力アップにももってこい!こいつのパワーと実力が口先だけか、ほんものなのか、メイドインジャパンの本気度を今後レポートする予定。


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はたぼー時空を超える

富嶽三十六景 深川万年橋下 北斎

各地をうろうろするのもいいがたまには「時空を超えて」みたい。部屋に居ながらにして空想豊かに往時をしのび、あるいは未来にワープしてみたい。

ボランティアガイドで東京の歴史も伝えることになりそうだし、お勉強しておかないとね。わたしはいなかもんだから、江戸っ子にはなれないし、きっぷもよくない。「あさししんぶん」とか「しろしまのしろせさん」と訛ることもない。だからといっていじけてはならない。


もし、いま令和の時代から江戸時代の江戸の街中にぽっとんと落ちてみたらどうだろう、と思った。やはり、神田神保町あたりかなぁ。蕎麦やうなぎもおいしそうだし、商人や鍛冶屋、大工(でーく)たちがうろうろ、そして浅草吉原の花魁も見られるしと思い立った。さっそくいってみることにした。

ところが、手違いがあって、神田のムラサキスポーツあたりにぽっとんと落ちるはずが、深川の万年橋に落っこちてしまった。

しかたがない、GPSもないしゼンリンの地図も整っていない時代だから。時は1831年、天保2年。北斎が72歳のときのこと。


なんと富士山がくっきり、筑波山も見えるではないか。橋を渡る人たちはちょんまげでみんな和服を着ている!

ま、そんなことより、おやじがもし江戸時代に暮していたらどうだろう、という思いがふつふつと湧いてきたのにはわけがあった。なんのために時空を越えなければならなかったか。

絵本隅田川両岸一覧 北斎

仮住まいに引っ越しを済ませ、ようやく日常をとり戻しつつあるこのごろ、仮住まいのトイレに入っているときに戦後の混乱期のような引っ越しを済ませた安心感とともにしみじみとしてそれを思った。

建物は古いがきれいにリフォームされ清潔そのもの。新品のTOTOウォシュレットが備えられている。もう、何がいいたいかお気づきのことと拝察するが江戸時代はどうだったんだろうということだ。


花魁もいい、隅田川の花火もいい、一膳めしやや湯屋もいってみたい。だが、しかし、一点気にかかることがある。

これから先はお食事中の方はご遠慮願いたい。

いま、こうしてきれい空間となったトイレ。北九州発の世界的メーカーとなった「TOTO」、昔は東洋陶器といった、がこのTOTOがウォシュレットを世に出す前のずっとずっとずっと前のトイレ事情はどうであったか。

紙も高価であったし、新聞をくしゃくしゃするということもなかった、例のものは世界一循環型資源再生可能リサイクル都市であった江戸が放っておくわけがない。あのあと、落ちていったものはどうなったか、そして用が済んだ自分はどういう行動というか、所作を行ったのか、ネットや文献でつぶさに調べてみた。

けつ論からいうと、ここではふれないほうがいい、ということになり、いえることはそこでおぞましい行為が行われていたという事実である。まして、長屋は共同便所でいろんな男女が入れ代わり立ち代わり用を足すのであるからしてその光景は想像さえしたくない。

大江戸くらし図鑑」によると「落ちていったもの」は大名家や大店のもののほうが庶民が暮らす裏長屋のものより高価で買い取られた、との記述がある。


そのへんの事情からいうと、明治、大正はおろか、平成前の昭和の時代にもきやすくワープするもんじゃない、という気もする。ご存知の方も多いと思うがわしらの昭和30年代40年代の小中学校の「便所」」もダークサイドゾーンだった。「できうるかぎり個室には入らなかった」。まだ、色濃くTOTOウォシュレット前の時代を引きずっているからである


東京オリンピックではじめて日本にやってきた外国人たちが日本のトイレのきれいさ、清潔さに驚くことは間違いない。日本人の「清潔さ」へのこだわりも。

新名神高速道路の新宝塚サービスエリアのトイレには「撮影禁止」との注意書きが貼ってあるほどだ。私としてはどんどん撮影して中国に広めてもらいたい。

中国を旅した人は経験済みであろうが町の一部の中心部を除いて中国の便所はおそろしいことになっている。詳しくは書かない。上海では生ごみも道路にぶちまけてあって、どぶみたいになったごみを清掃局の人がスコップですくってトラックで持っていっていた。10年以上前のことだからその後かわったのかもしれない。

意を決して有名な「仕切りのないトイレ」に潜入したことがあるがぼくはもう、金輪際「旅人」といわれなくてもいいと思った。朝昼晩5日間にわたる連日の毎食中国料理攻撃がボディーに効いてくる中国はぼくが行ってみたい外国の169番目にエントリーされている。

ロンドンでさえ街中で無料トイレをさがすのが大変で、ビール大好き人間のぼくはあちこちで大いに困ったのだった。飲食店でトイレを貸してほしいというと、「なんか注文しなさい」とおねえさんに命令調でいわれた。東京のあちこちにあるコンビニを見るたびに思い出す。

行くなら電池式の携帯ウォシュレットを持参すればいいのだけれど、税関になんて説明するのかな。