あっけなかった。なるべくご近所の迷惑にならないよう、道路側の壁を残しておいて、最後に壁を取り払った。だから、解体をはじめたのに少しも進んでない気がして不安になった。「たらたらしてんじゃねーよ」とよっちゃんいかをかじりながら思っていた。
屋根や柱、なんやらかんやらを壁の向こうの見えないところで4,5日黙々とではないが着々と壊していた。壁を取り払うとあらふしぎ魔法のように建物はなくなっていた。
きれいさっぱり丸刈りにされた。が、ある問題が起きた。
地中に物体がある。
旧陸軍が埋めた対戦車地雷、あるいはB29が落とした500ポンド不発弾ではないか、近くにあった中島飛行機の武蔵野工場は重要な空襲の標的になっていたし、成増飛行場もあった。そうか、戦前からの家だったからそんなこともあるか。
ただちに「紛争・調停・困りごともめごとならまかせて安心なんでもやりますすぐに解決」の専門部隊「はたぼー処理班」が消火器をもって現場に急行する。
そして、現場周辺1メートルの住民に避難指示をだしたうえで土をはらい慎重に信管に触れないよう作業する。
緊張で汗がふきだす。
あのなぞのイケメントルコ人が「マダ、ナニガデテクルカワカラナイ」といっていた意味がわかった。まじめな話、杉並あたりには建て替えの時に防空壕のあった家がいくつもあったと聞いている。
練馬のこのあたりに爆弾落としても被害は「だいこん1200本」とかだろうから防空壕まではなかろう。
井戸だった。
妻に聞くと「あったのは知っている」と。
40年前の建てかえの時に蓋をしたんだとか。
真顔で「まだ、使えるんじゃない?」という。
ばかか!
井戸水で洗濯でもするつもりか。
「災害の時とか」
数年後にやってくる第二次関東大震災のおりには「練馬を救った井戸」としてマスコミをにぎわすかもしれない。「あわれ倒壊した建て替えたばかりの新築建物」「なぜ、ヘーベルハウスにしておかなかった!」「殊勝な判断・はたぼー家の妻」の写真付き。
こいつこそ江戸時代の長屋に送り込んでやろうかと思った。
ともあれ、現場監督によると大工さんが井戸がこのままだと嫌がるんだと。埋めることになった。
「落とし穴」としても使えるが「貞子」封じをしておかないとね。
2019.9.7
家の下にはまだ昔があるのですね。
司馬遼太郎が書いてましたが昭和30年頃、寺内大吉の家人は世田谷在住だったが、ちょっと東京に行くと渋谷などへ出掛けていた。
昔は世田谷はそんな扱いだったのかとびっくり。
この60数年で特に東京は変わったけれど、見えない所で昔がひっそりと息づいていますね。
たしか、豊島氏が太田道灌の軍勢に敗れた時、滅亡を悟った豊島氏の娘照姫はお城のあった石神井城の三宝寺池に入水し財宝の大半を池に沈めました。言い伝えによれば残りの一部はこのあたりに分けて埋めたということです。埋蔵金探しの最中に井戸に落ちないように気を付けます。