世紀の奇書の37年ぶりの復刊ということで話題になっている。37年前ごろ傾倒した筒井康隆氏の読者としては素通りできず。
氏は誰もが認める鬼才、奇才、奇人で、その小説は劇画っぽく仮装行列のようである。舞台仕立てでありながら飛び跳ねすぎて縦横無尽に時空を超えるものだから本人でさえ収拾がつかなくなることも再三で、筒井さんはこの先どう落ちをつけるつもりだろうと読んでいるほうが心配になるほどだ。
案の定、不細工な三人の悪女たちが職場の課長を陰険に追い詰めていく「三人娘」は実際に収拾がつかなくなって未完となってしまい読者に詫びた(その後続編を加筆し完成)、「ヒノマル酒場」に至っては大阪通天閣そばの大衆酒場にやってきた宇宙人と客とのやりとりを吉本新喜劇ばりのどたばた喜劇にしたものだからおしまいにタイムマシンを使ってターザンやアフリカ象、源義経やグリコのランナーをフィナーレの舞台あいさつよろしく登場させてどさくさのうちに無理くり幕をおろさせるという荒業に頼るしかなくなっている。
荒業は決まればいいのだけど「案内人」のようにミステリー仕立てで山奥に読者を連れて行きながら結末に困ったのかあっけないエンディングとなってしまうこともある。
「鍵」は傑作とされる。むかし住んでいた家や、勤めていた会社や高校のロッカーのいくつもの鍵が主人公を連鎖式に過去とつなげていく。画面が切り替わることなくリレー形式で次々とあのころの自分の扉をあけていく自分の旅ともいえる作品だ。
2019.10.15