事務所のオープンにあたり、事務所名をつけることに。
コロナウィルスが猛威をふるい、感染を避けるためにライブの中止や学校の休講などの措置が取られている。
そのためテレワークが推奨されている。私の作業ツールはパソコンであってネットを介して送受信することで足りる。クライアントから資料を預かるためにお宅に伺う以外は外出は必要ない。
すごい時代になったものである。
ただ、営業時間がかわっていて、午前3時から午後3時までとなっている。
だから、事務所名は「うしみつ事務所」とした。
なぜか?
ぼくが「そうきめたから」「夜はだめだから」である。
ぼくの朝は早い。めざましは朝4時にセットしてあるが、4時に起きると「ねぼうした」ということになる。
3時ちょいまえ起きがのぞましい。体調によって零時に起きだしたりすると家族はぼくのことを化け物をみるような目で見る。
するとよいっぱりの妻や息子がまだ起きていることもあって、病院の「夜勤」と「早番」のシフト交代の時間みたいなことになって、「引継ぎ事項を確認し」ハイタッチして早番が事務を受け継ぐという格好になる。
こんな時間に起きているやつは妖怪や魍魎の類だけであろう。
しかし、ぼくにとってこの朝の時間帯は聖域でもっとも脳細胞が活性化する時間帯で、前夜飲み会があって飲みすぎたりすると翌朝一日が台無しになってしまったような気がする。
朝食をはさんで10時くらいまでが「生きている」時間であとは「余生」である。
余生は人生を楽しむためだけに使う。
思えば人の一生もそうであろう。若いときに勉強して汗を流しがむしゃらに働く。そして定年後は陶芸に凝ったり、イタリアワイン片手にプリンセスダイアモンドでコロナウィルスといっしょに世界一周クルーズを楽しむ。
それがどうしたことだろう。
若いときにいいかげんに勉強し、うだうだテキトーに働き、うだつもあげず、定年まぎわににどういうわけか覚醒してしまった。
午後2時からスポーツクラブで汗を流したあと(腹の出たおやじにぜったいになりたくないからである)は、歴史上最高の発明の黄金飲料であるビールをいただきながら「東映映画任侠侠客高倉鶴田菅原専門チャンネル」を楽しむ至福のゾーンになだれ込む。新居に引っ越したら65インチ4Kハイビジョンで臨場感たっぷりで楽しんでやる。
先日お金持ちのお嬢さんとおはなししているとき映画の話題となり、「好きな映画俳優は誰ですか」と聞いたら、北欧だか東欧の「なんちゃらかんちゃら」ですといって聞いたこともない名前の俳優をあげた。横にいた映画同好会は知っているらしく「〇▼ですよね?」とかいっている。ぼくは小さくなって生返事しながら映画の話題が過ぎ去るのを待つのだった。
営業時間外にクライアントから電話があったとしても、ぼくはすでに高倉浩二となってしまっているから相談者は返り血を浴びることになってしまう。「それじゃ、義理がたたねぇ」とか「どすを用意しろ!」とかおだやかでない。
だから、「夜は電話に出られない場合があります」と伝えてある。
家族とは食事時間がまったく異なるために「テーブルを囲んだ夕食のだんらん」はない。
そして、ふつうのまっとうな家族が食事をする時間帯にはすでにご入眠となっていて、連絡事項はホワイトボードの書きおきをみてもらうという手はずとなっている。それで問題はないかというと、ご入眠の前に自分が食べるわけでもないのにご飯を炊き、豚汁をつくっておいたりするものだからおおむね好意的である。
ぼくがベッドに横たわると疲労とここちよい酔いで「秒殺で」恋に落ちるように眠りの谷底に落ちる。それはすでに16時間ノンストップで活動していて疲れているからである。
そのお顔は広隆寺の弥勒菩薩のような憂いをたたえたやすらかで、おだやかでまるで夜ごと成仏されているかのようである。とちくるったじじいの顔はそこにはない。
そして、妖怪とともに目覚め、静岡のやぶきた深むし茶をがぶがぶ飲みながら本日のTO DOリストをつくる。
爆走トラック運転手のためのラジオ番組「走れ歌謡曲」やラジオ深夜便「人生のみちしるべ」、カトリック教会の「聖パウロのことば」、「築地本願寺のこころ」、「おはよう寺ちゃん活動中」などを流しっぱなしにして。
そして今日も「草木も眠るうしみつ事務所」の朝がはじまるのだった。
2020/2/27