幼稚園に入園し「ぱんだ組」の組員となった。
まん延防止の「まんぼう」同様、ゆるいネーミングだ。ゴルゴ64じいじの手下にしては緊張感がない。
せめて「はやて組」とか「はやぶさ組」、「ゆきかぜ組」に入ってほしかった。それがかなわなければ「かみかぜ組」、「ごるご組」がよかった。
3歳を前に進化している。
大人の顔色をみる、様子をうかがう、いじける、すねる、やきもちを焼くなどおよそ人間らしいきもちが育ってきている。
頭の中は日々たいくつとの闘いであろうから、なにかしら刺激となるわくわくするおもちゃを与え続けることにする。
高校の時の短足ジーンズ2本とれの同級生は、わが子の話をよくした。
「神経衰弱で3歳の息子に負けた」といっていた、てゆうか自慢していた。
「手加減せず本気でやって負けた」とほんらい悔しがるべきところ、してやられたことをうれしがっていた。
「灘高から京大医学部にいった」と自慢していた。
酒場で飲んでいると必ず水が流れるようにその自慢話に流れついた。
自慢するもののないおいらはくやしまぎれに「おまえ短足だったくせに」と毒づいた。
3人の子供のうちもう一人は東北大学の医学部に進んだ。
九州工業大学のおまえはともかくおっかあのできがよかったんかと聞くと、びびるような経歴もなく「ふつーだった」という。不思議だった。
予備校から受験生の父兄のために子育てについて講演してほしいとお声がかかったほどだ。
これはつまり、医学部あらしの新型ウイルスに感染したことによる遺伝子の突然変異によるものであると断定しなくてはならず、ファイザーがいまワクチンを開発しようとしているから、予備校よりもファイザー社を訪ねていったほうがいいと思った。
しかし定年を迎えたとたん猛妻から離婚を言い渡され、恐怖の財産分与宣告で身ぐるみはがされ、いまは関東方面の知り合いはわたしぐらいで世を忍ぶ仮の姿でIT講師の時給アパート一人暮らし生活を山梨で送っている。
わたしも高齢者に仲間入りしようかといういま、3歳の子に負けることがあってはいけないと思った。
神経衰弱はやらない。意地が増した分だけ記憶力が低下して勝てる見込みがないからだ。記憶力で勝負するようなことはまずもって避けなければならない。神経が衰弱するなどあってはならない。
3歳以上の「たのしいわくわくドミノセット」で「楽しく想像力を育てながら」「集中力・思考力・想像力」をつけ勝負することにしたが「R」は毎日特訓している。勝てることやら、、、
2021/5/3
コードネーム『R』君はもう幼稚園なんですね。
私の頃は1年保育が主流。平成1桁生まれの娘の頃は2年保育が主流。
今は幼稚園でも4年保育があるのですね。
そして、『R』君の顔がもう幼児のポワンとした顔じゃなくなったのに驚きました。
毎日沢山の事を吸収して楽しいばかりでしょう。