出身高校の同窓会会報が今年も届いた。
在校生の活躍や卒業生の活動のほか、ごていねいにも卒業期別の会費納入者のご芳名と卒業者数に対する納入割合までが示されている。期別に貢献度に点数をつけようというわけである。出来の悪い生徒を晒すことでしか成績アップを図れないさびしい発想である。27期のわしらは10%そこそこで底辺にいることがわかる。
高校卒業後ふるさとを捨て横浜と東京で暮らし、ふるさととは数人の友人たちとかろうじてつながっているだけだったから愛校心も希薄だった。
舛添要一さんは7期先輩にあたる。
今般、小池百合子さんが過労で倒れたことを痛烈に批判している。
ついせんだって私は小池さんが過労で倒れるんじゃないかと心配している記事をブログにアップしたばかりだった。
「過労くらいで1週間も戦のときに休むのは政治家失格」とまで先輩はいう。
不愉快だった。
つい、辞職のきっかけとなった都知事在職中の自身の公用車での湯河原温泉通いと家族での山口長門の一ノ股温泉通いのことを思いだした。
いっぽうで都議会とのしがらみでなんの仕事もできていなかったことも思いだした。
小池さんやコロナ対策関係者、医療従事者たちは温泉はおろか外食も控えて耐えて仕事に向き合っているなか、よくいえたもんだと思う。
ただ、かつては進学校だったことだけが支えの衰退のまちの高校だったけれど舛添さんが有名人に仲間入りしたとたん分厚い名簿をだしてみたり会報や同窓会の総会もにわかに活気づいた。わかりやすい田舎の高校だった。
もうひとつ不愉快なことがあった。
山中教授は母校の医学部の教授である。
うだうだした老害政治家たちばかり見ているとそのさっそうとした48才の気鋭の研究者の姿にコロナを抜けるさわやかな希望がもてるのではないかと思わせてくれた。
それが横浜市長選に立候補した。なぜあなたが?
もともと市政に興味があって名乗りをあげようとしていたならわかる。
わたしにはたまたまコロナで名をあげて、その知名度を利用して立候補したようにしか思えない。
立憲民主党も氏の人気にあやかろうとみこしを用意し、政治的にしろうとの殿様をかつぐ。自民党ならともかくみっともない。
カジノの旗を振る現林市長ももとはそんな人ではなかった。市民感覚のあるまっとうな人だと思っていた。それが任期を重ねるうちにあらぬ取り巻き連中にひきずられていったのだろう。
ぼやきじじいになってきた。来月65才の高齢者ステージに立つ。
早朝に仕事をしているため、ラジコでNHK「ラジオ深夜便」を聴くことがある。
ファンだった長寿番組「走れ歌謡曲」が終了してしまったから仕方なく聴いていた。「走れ歌謡曲」は助手席にでしゃばらないさわがないおとなしい日替わりの女の子を乗せて高速道路を走っているようで深夜便のトラックドライバーじゃなかったけどここちよかった。
「ラジオ深夜便」はいいお話もきけるのだけれどじとーっとしていておまけにアナウンサーの声も枯れ木のようで、力がみなぎらない方向へいってしまうことがある。
このまま聴き続けるとほんとのじいやになってしまう気がして聞かなくなってしまった。
2021/7/9