下関は北九州とはご近所づきあいをしていて、特に関門海峡の対岸の門司とは関門橋や海底トンネルであっという間のひとまたぎ、またはひとくぐり。
ただ、親戚づきあいではないところがビミョー。どうひいきめにみても両者は血はつながっていない他人である。関門橋や海底トンネルでは埋めようのない距離感がある。
漁業基地として栄えた1960年代とは違い、いまの下関は唐戸市場あたりのほんの一部のにぎわいのほかは北九州のさびれかたとはまったく違うどうしようもないなげやりな閉塞感がただよっている。
まちのよどんだ空気がいやおうがなくやるせなく悲しくさせる。
緊急事態宣言下の福岡県ではあってもひとまたぎすれば宣言のだされていない山口県となる。ついさきごろ「越境飲み」で騒がれた川崎の武蔵小杉と多摩川をはさんだ自由が丘と似ている。
下関であれば「店でお酒が飲める」。
川棚温泉「ぴーすふる青竜泉」では生ビールが飲める。
生ビールのポスターは新鮮だった。注文すれば飲めるんだ。下関だったら餃子とビールがいただける。もうどこかにおき忘れてしまったほのぼのとしたおぼろげな思い出。
川棚温泉青竜泉につかる。これって温泉?とおもえるほどさらっとしている。
コロナでの感染防止のため「浴室での歯磨き禁止」とある。
意味がわからん。入浴がよくて歯磨きがだめ。
昔の日本人のように実直で生真面目そうな番台の老夫婦の姿にしかたなくうなづく。
日本海でもたもた動かずやる気のない台風14号のせいでこのところ雨続きだったが、角島あたりでようやく晴れ間がみえた。
すっきりした天気だったら青空のもと輝くコバルトブルーの海に浮かぶ角島大橋がながめられるはずだ。もっともっと輝いて、神々しい景色が目の前にいっぱいにひろがるはずだ。
道の駅も時とともかわっていく。海も枯れてきている。シラスやウニの漁獲量不足もあろう、スタッフの人材不足もあろう、角島大橋のがんばりも限界があろう、文句言いの客もいるなかで開業当時の賑わいを維持することがどんなに大変なことかわからんでもない。