あまり根にもつタイプではない。さっぱりしているほうだと思っている。
ただ、10才の時の1965年に八幡黒崎の映画館でみたガメラだけは許せん。
日曜日、めずらしくおとうが映画に連れて行ってくれることになった。おめあては東宝のゴジラシリーズ「怪獣大戦争」だった。
当時はすでにゴジラの強烈な単体キャラだけで押せた時代に陰りが見えてきて、ラドンだのキングギドラだのの同僚の怪獣俳優に声をかけて幕の内弁当のようにしないと人気が維持できなくなってきていた。
とはいえ、やはりゴジラはなんといってもまだ長嶋であり大鵬であった。
ところがそのころの高度成長期の黒崎というのは井筒屋という百貨店を中心にたいそうにぎわっていて、東宝の映画館にはわしとおなじようにガキたちが押し寄せていた。
いまとちがい、こどもはどこから湧いてくるのかとおもわせるほどたくさんいた。いまの平日の商店街を歩く高齢者とおなじように。
その映画館の行列を一目見たおとうは戦意を喪失し、相談も正しい行政手続きも経ず「こんじょーけん、やめよう」といった。
そんなことでおさまりがつくようなやわな年頃でもなく、そのままですむはずがない。あきらめきれずわしは粘る。
いま思えば当時の日本人は働きづめであまり休日もなく、働き盛りであっても休日も疲れて寝てすごしていた親も多かったろう。そんなわずかの休日に見たくもない怪獣映画に家族サービスでつきあってくれていたおとう。
そこでおとうはなにを思ったか、ゴジラはやめて「ガメラにすーか」と耳を疑うようなことをいいだした。
ぼくは「かめ」なんかが暴れるのをみにきたんじゃない、きのうの夜はゴジラ見たさにふとんのなかで眠れないほど興奮していた。
どっちも怪獣だからおなじやん、とでも思ったのだろうか。次男のぼくのことなんかどうでもいいと思っていたのだろうか。兄と妹がおればいいと思っていることをうすうす気がついていたのだ。
カメが飛ぼうと、炎を吹こうと、東京タワーに嚙みつこうと、新幹線脱線させようとぜんぜん知ったことじゃない。
それでもぼくはまだ小学生で先生や保護者である親御さんには逆らえない、そんな時代だった。
空いている大映の映画館に入っていやいや観た。
不機嫌に拍車をかけたのは総天然色の時代にガメラは白黒だったことだった。カメ自体が地味の極みだったところにきて、さらにポスターはカラーで子供を集めておきながらモノクロ。ガメラがやられて口から血が流れているのか、よだれたらしているのか区別がつかん。
その後、大映は懲りもせず打倒ゴジラ東宝に負けるなとギャオスとかいう怪鳥に殺人光線を吐かせたりしてガメラと戦わせたけれどもうかめからぼくのこころは離れてしまっていた。スター性も感じられなかった。
猛女だったおかあと違い、やさしく人のいい系だったおとうに恨みはないがそのぶんカメをうらむようになった。
根に持っている。