落ち着きをとりもどしつつあったこの時期に南アフリカの変異株を前にまたざわつきはじめた。
もう、2年になろうとしている。
大分にある介護施設の玄関の窓越しでしか面会できなかった母だったけれど、玄関の自動ドアの開け閉めによる寒さから高齢者を守るためそれもままならなくなった。
東京から見舞いにきた、というだけで施設は困惑する。表向きは笑顔でも娘が素性のよろしくない男と付き合っているのをスタッフは苦々しく思っているような視線を感じた。
静かに暮らす中西部の小さな町にショットガンを片手にならず者がやってきたという西部劇の場面だった。この町の平和を乱さないで欲しい、どうか出て行って欲しいと年老いた保安官は懇願する。ぼくはわからずだけどならずものではないのに。
今年の4月と9月の面会は新生児との面会のようにガラス越しだった。ともに命のバトンのリレーをしているようだった。
いつこれが最後になるかもしれず、後悔しないよう年内にもいちど会っておこう。
「接種証明があれば15分程度の面会はできます」と施設の事務局から許可を得た。
けれど、どこをほっつき歩いているかわからん不良高齢者を恐れる施設の気にもなってみるがいい。入居者やスタッフ、そしてその家族までを危険にさらすことになる。
そんなことからPCRなんちゃら検査を受けることにした。
区や医師会の無料の検査はまず、感染が疑われると医師が判断したときに受診できる仕組みとなっていて、ぼくのように熱もなく毎日スポーツジムに通ってビール飲んでいるおっさんは対象外とのこと。
となると民間の検査機関での検査となるがネットでさがすとあるわあるわ、その料金は高級クラブなみから立ち飲み居酒屋までいろいろ。
資本金が4億の検査機関が運営している。
紹介である会社から「PCR検査をする子会社を立ち上げた」ため仕事を請け負ってくれないかという依頼がきた。
もうPCR検査のビジネスは収束に向かうだろうと読んでいたぼくは断られるような料金を提示した。やる気がなかったからで、その会社は単に検査をビジネスチャンスとみた利益優先の体質だと聞かされていたためである。
そんな会社で検査を受けたくない。
居酒屋チェーン店クラスだろうか。
容器に「唾液」を入れる検査。
鼻の奥を綿棒でぐじゅぐじゅひっかきまわされる検査でなくてよかった。
池袋の西口の雑居ビルの2階にあって、細長いフロアに選挙の投票所のようにアクリル板で仕切られたテーブルが壁に沿って並んでいる。一度に40人くらいが「投票」できるようなイメージだ。
「唾液を容器の線のところまで入れてください」
つばをひたすら溜めることに全集中する。
おしっこと違ってそうやすやすと線のところまで溜まらない。
不妊治療の精子提供のときはどうするんだろうとかいらんことまで想像した。
「梅干し」の写真、あるいは現物、できれば大粒の南高梅、を目の前に置いといてくれれば泉のようにとめどなくわいてくるのにと思った。
24時間以内に判定結果とPDFの証明書がメールで送られてくる。
こころが揺れる。
もし、「陽性」だったらどうしよう。
家族、友人、故郷の山河、愛猫までもが目にうかび、これまで受けてきたことへの感謝や後悔がとめどなく脳裏をめぐる。
「陽性だったら知らせないでほしい」
受付の選挙管理委員会のおねえさんに伝える。
介護施設が求める以上のことを選択肢がないならともかくやれるだけやって臨む。
これはビジネスの世界でもいえることで、それが信用というものだということがわかるまでどれほどかかったことか。
ある意味お金の問題ではない。
2021/11/30