3歳児のおかしさのみなもとは「ことばの吸収力」にあると思っている。わけもわからずことばを軽い「のり」で覚えている。
一生のうちでいちばん「ことば」を吸収している時期なのではないか。
2世帯住宅にしたことでじいじがカレーやシチューや豚汁をつくったとき2階におすそ分けすることにしていて、我が家では「じいじ給食センター」と呼んでいる。
鍋をもって階段をあがると「R」と「K」が待ち構えていてなんだなんだとのぞきにくる。おもちゃやウルトラ怪獣図鑑だったりすることがあるからだ。
先日、やってきた「R」は鍋を見るなり真顔で「それって、どういうこと?」といった。
「えっ」としばらく言葉に詰まる。「それって、どういうこと?」ってどういうこと?と聞き返したくなった。
さいきんのはやりは「さいあく」で、ままの口癖とも幼稚園で仕入れてきたともいわれている。
ままのことを「おに」と呼んでいるといううわさもある。そう呼ばれる理由もなくはない。
「R」のおとうさんはそんな悪い言葉は選ばない。感情にまかせて
非道の言葉も投げつけたりしない。「あざーっす」も「うっせーわ」どころか「うざい」とも「やってらんねー」もいわない。
「さいあく」は「幼稚園」か「怪獣TV」か「まま」からの口うつししか心あたりはない。
大雪の翌日の早朝にスコップをもって玄関をでる。
気象台が脅したほど積もってはいなかったが、人通りも多いしさっそくまだだれも手をつけていない道路の雪かきをはじめた。
すると、「R」のおとうが雪かきスタイルで飛び出してきた。
音がしてあわててでてきた様子ではない。
じじいが雪かきをはじめたときやってやろうと待っていた。
「人間としてあたりまえのことをしただけです」とお礼のことばへの返事を用意しながら道路一面除雪した。
いっぽうの「R」のおとうは淡々と、黙々と、静かに粗末な朝ご飯を食べるように作業している。
昭和のむかしは、昔の日本にはこんな男が多かったように思う。
よけいなことをいわず、さわがず、人が見ていようといまいが目の前のしんどい仕事を愚直にこなす。職場での働きぶりもおそらく同じであろう。
おもろいギャグを炸裂させるわけでも、お世辞のひとつもいうわけでもなく、
褒められることも気にかけず、見せびらかすことも誇ることもせず、自分を宣伝することも、人に恩に着せることもなく。
入れ墨もいれてないしドスももってないが網走の雪景色の高倉健のようで誇らしかった。
「おに」ままの指令を受けて、マクドナルドや牛蔵弁当、ぎょうざの満州やケーキ屋のぱしりをさせられている姿を何度も見かける。
そんなときふつうきまり悪そうなそぶりをするところ、にこにこ嬉しそうに手提げ袋を両手にもって笑いながら帰ってくる。いかにも楽しそうに。
あんたたちのおとうはそんな人だよ。ふたりともおとうさんのようになってほしいと願いながら。
3才と1才。
2022/2/12