百田直樹氏の「海賊と呼ばれた男」の映画化。
映画はB29の大編隊の空襲で赤く染まる東京へ向け迎撃に飛びたった夜間戦闘機「月光」2機がB29の猛烈な銃火器によってあえなく撃墜されるシーンではじまる。
飛行場から赤く燃え上がる東京が見えた。この飛行場はその滑走路の方角や規模からいって厚木基地ではない。だとするとこれは追浜飛行場ではないのか。
追浜には海軍の飛行場と海軍航空技術廠があって、この双発陸上爆撃機「月光」や「銀河」の試作製作をしていたことは碇義朗氏の「海軍空技廠」(潮書房光人新社)が教えてくれた。
あの傑作戦闘機「紫電改」のテスト飛行もしていた。(育毛剤の「紫電改」は毛生え薬の起死回生の切り札として大戦末期に登場した新鋭戦闘機「紫電改」にあやかって命名された。( ´艸`)が、「紫電改」の活躍をもってしても髪の毛は生えてこなかった、、、)
昭和7年に開設された海軍航空技術廠はアメリカとの戦争と戦況の悪化とともに三浦半島の要塞化にむけ規模を拡大していき支廠を昭和16年に横浜市金沢区に設置する。
David佐藤さんは三浦半島や千葉の戦争遺跡のデータベースをWEBで公開していて、それによると驚いたことにその支廠は私が通った金沢八景の大学の敷地に設置されていた。
現在の金沢文庫と金沢八景にまたがる広大な敷地で地下工場化も進められていた。
昭和24年に設置された大学のキャンパスの南西のいちばん奥まったところにある文科系サークルの部室はそういえば古ぼけた赤レンガづくりで丘の斜面にはたくさんの防空壕があったのだ。
「射撃部」「爆撃部」「雷撃部」などがいまの東急車両の工場敷地にあって、大学のサークルの部室は「火工部」あたりに属する。
兵器の研究をしていた場所で平和に講義をうけていたんだ。調べれば調べるほどいろいろつながってくる。
赤線内は大東亜共栄圏ではなく「要塞地帯区域図」