アウトレット北九州は今日からバーゲン。
金曜日だけど、アウトレットらしいにぎわいがある。
例のショップはあいかわらずだけど、バーゲン価格からさらに、2つ以上まとめて買うとそこからさらに30%オフと本気度をみせるショップもあって、手ぶらで帰ることはなくなった。
ともあれ、きょうはアウトレットのバーゲンがどうのこうのけちをつける気分じゃない。しょせんバーゲンで得したどうのこうのは人生にとってたいしたことじゃない。素直にこの街にぎわいがもどってほしいと願う。
かつてのように煙突からもくもくと煙のでない、買い物でいいものをみつけた時の笑顔があふれるにぎわい。
昨晩、50年ぶりの中学校の同級生と会うことになった。
卒業アルバムをとっくに処分してふるさとを捨ててしまっていたおいらと、養護施設の出身者でみんなから忘れられていた子、そして、本人も忘れられてあたりまえと思って50年間すごしてきた施設の子。
そして、その子とつるんで仲がよかったやつたちを招集して。
話題は尽きなかったらしく、いちばんつるんでいたやつは解散後、その子と深夜1時前までバーで語り合ったらしい。
いい男たちだけのプチ同窓会だった。こころがバターのようにとろけるようだった。
なんの見栄も打算もない、かけがいのない少年時代のともだち。
なんの申し合わせもしていないのにだれも名刺などださない。意味がないからだ。
社長だからと偉ぶることもなく、養護施設の出身者だからと卑屈になることもなく、あれから50年の年月を正直にまっすぐ生きてきた証を白髪あたまの、顔に刻まれた年輪のようなしわが証明するかのように。
50年ぶりの子は施設をでて15歳で大工の見習いになって、その後仕事をかえ関西や関東を転々としてのち引っ越しピアノの運搬の仕事を得た。
そしてその代償に脚を痛めて杖をつくようになっていた。
だから仕事にも就けないでいる。
あたりまえだ。アップライトのピアノは重さが200キロもある。
仮住まいに引っ越すとき、仮住まいから新居に移すとき天秤棒のような棒でピアノをたった2人で担いでいたのを呆れながらみていた。
ピアノや家が傷つくことより、彼らの腰のほうが心配になってはらはらしていた。
中学校のときのともだちは、ある意味高校のときより、大学の時より濃い。石に刻まれた鮮明な記憶。
施設の子のFacebookの投稿をみつけてぼくたちにに繋いでくれたしっかりものの、女性であることを売り物にしない女子に、真美子ちゃんに、きょうの出会いのきっかけをつくってくれたことに、男4匹みんなしてこころから感謝したのだった。
翌日、彼からの「夢じゃないの、ぐらいな感じで眠れました」というお礼のメッセージを彼女を通してうけとった。
バーゲンでは得られない、ここちよくあったかい思い。
こんな思いのレンガをあといくつ積むことができるか、
家族やともだちだけではなく、それ以外のひとたちにしてしてあげることができるか、させてもらうことができるか。
そんなことをおもいうかべながら。
居酒屋の駅 「黒崎」(北九州)- 111