撮影者は並木運美さん。
職場の先輩でありわがパソコンの師匠。FACEBOOKで貴重な昭和を投稿している。
大森生まれのため京浜急行がらみの風景が多い。
朝日新聞の記事で新座の中学生のあるメッセージが紹介された。
修学旅行生が箸袋に残した感謝の書き込み。
これをきっかけに当時の写真を紹介してくれていた。
なんといきなことをする中学生たち。新座はとなりまちだ。
じつは私たちも北九州の中学の修学旅行でこの「本能寺会館」(いまのホテル本能寺)にステイしたのだ。
昭和37開業以来ずっと修学旅行生を受け入れ続けてきたことを知りあのころを思い出す。
食事のことで覚えているのは仲居さんが大広間に並べられたおわんの「お吸い物」にやかんでお湯を注いで回ったこと。
見たことのない光景だった。
修学旅行生の費用を徹底的に浮かせようと交渉した結果、「お湯をかける少女」となったのだろう。
おみやげの「八つ橋」や「そばボーロ」などはあらかじめ注文をとりまとめて学校に配送するシステムも採用していた。
東京の下町の先輩もおなじ宿を利用していたとすると東京の中学校の多くも利用していただろうな。
かあちゃんに聞いてみたが「おぼえていない」と。
感激したスタッフたちは京都駅まで見送りにいったらしい。
じつは並木さんはある世界で知らぬ人はいない著名人だ。
「スリットカメラ」という特殊なカメラに改造し走行中の列車をまるごと頭からしっぽまで1枚のシートに撮影してしまう技術をもっていて、鉄道関係の会社や雑誌社から依頼を受けたりいていた。
カメラを改造して列車の走行中の速度とカメラのモーターを同期させるドライブを自作していた。
いまでこそ手がける人が増えたけれどそのさきがけだった。
昭和53年の撮影。
窓越しにボックス席のお茶のペットボトルの銘柄もわかるくらいに鮮明な写真もある。