蒋介石の回想録によると、
このままでは中華民国は日本に敗北する、なんとしても英米の力で中国から日本を追い出してほしい。
日本とアメリカとの戦争をもっとも望んでいたのが蒋介石で真珠湾攻撃の報を受けて狂喜した。
「本
日、我が国の抗日戦略の成果は頂点に達した」(蒋介石日記1941年12月8日)
昭和12年の上海事変は盧溝橋事件同様日本軍による謀略だと理解していたのだけど、じつは蒋介石により巧妙に仕組まれた武力衝突でもあったことが綴られている。
上海の租界に住む欧米人に、日本軍の蛮行を世界に知らしめるため、大国の介入を招くためにあえて国際的な大都市「上海」を舞台に選び、上海での戦いを準備したうえで中華民国側が騒乱をひきおこした罠だったことが明らかになった。
ナチスから逃れるために多くのユダヤ人が上海をめざした。
その、上海が貧しさと混沌と喧騒のなかにあった貴重なフィルムがあった。