「日本伝承大鑑」2022/7/13

極悪非道平安末期の大泥棒「熊坂長範」についてしらべものをしていたらこのサイトにいきついた。

ご紹介します。

せっかくだからついでにいろいろ気になる場所を探ってみる。


「伝承」だから言い伝えなどの中世・近世ものを中心に題材はあげられている。

幕末あたりから史実に即したものとなり、色を付けることはそうそうできるものではなくなった。

実際の事件かどうかはわからないがある出来事をきっかけにいいように脚色されていてまゆつばものではあるけれど、それが苔むした祠になっていたり、お地蔵様になっていたりしている。

紅梅地蔵 | 日本伝承大鑑 (japanmystery.com)

高校に路面電車で通学していたとき、途中に「紅梅」というかわいい名前の電停があった。

気にもとめてなかった。気にとめていたのはあこがれの「みゆきちゃん」のことやビートルズのホワイトアルバムのことだった。

それから幾星霜、こころときめくこともなく、小沢昭一さんによれば、「そばがうまくなったら、人間そろそろ終点が近い」とのことだ。

「そばがうまくなって」、「石や祠やお地蔵さまがすきになったら」そろそろまもなくかもしれない。


八幡製鉄所ができる前の八幡は寒村で洞海湾は湿地帯を掘削して港にした、ふーん、そうだったかくらいにしか思ってなかった。ながいことなんもなかった、と思っていた。

だからどうともないのだけれど単身赴任しなかったら知らずに死んでいったろう。

「紅梅姫」という京都一の美女(だれがきめたと?)がいたんだ。中空を月毛の馬が一頭月に向かって駆ける姿。

どうも古代・中世あたりのこのあたり(北九州)はいろいろ歴史と伝承の宝庫のようだ。

ためしに、場所をかえて松江市に飛んでみる。


かつての「和多見町」というのはいまの松江市伊勢宮で、松江藩公認の遊郭があったところ。生家の近く。

その「まつかぜ」という芸者さんが橋の北に住む関取とねんごろになったのか、そうなんだ、そうだったのか。

清光院の血塗りの石段も幽霊がでたことも祖父母も、両親も知らなかったと思う。やったー。


貴重なサイトだ。

先日、山梨県南端の「南部(なんぶ)」出身の先輩とお話しする機会を得た。これさいわいと「南部氏はなぜ岩手に移り住んだのか?」と聞いてみた。道の駅の案内板によれば「移住した」みたいに書かれていて違和感をもっていた。「人生の楽園」の移住生活みたいに。

憶測ではあるが、辺境の地に「抜擢」されたとは思えない。そんなはずはない、迫害を受け追放されたかあるいは逃亡したのではありませんか?と。

すると、「なにをするかわからないという理由で追放された」ように聞いている、との答えだった。

言い伝えは立場によって都合よくまことしやかに語り継がれることになる。

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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