「東京下町ボランティアガイド」のその後 2022/8/2

活動再開の宣言もむなしく、変身をくりかえすコロナの感染再拡大で街歩きどころではなくなった。

小田和正も感染しツアーも延期になるわだけど、みんな根負けしたのか3年目になるとあきらめにも似た雰囲気になってきている。

ゼミで一緒だった友人もかってに「コロナは終息した」宣言をやって3回目の予防接種もしなかった。そしたら感染したとの連絡があった。


北千住の駅のそばのマンションで一人で暮らしている。65歳独身。

「なにか足りないものはないか?」「ごはんつくりにいこうか?」「あーんしてあげようか?」とかたずねたけどいいって(≧▽≦)

37度ちょいの熱が2日間、のどの痛みが続いている。


さすがのおいらもここまで感染者が多くなったいま人混みは避けようと思っている。

下町ガイドの活動も台東区浅草が中心で江戸風情を楽しむには隅田川の両岸がいい。


入会して数年、そしてコロナとともに活動休止となり、ZOOM研修とかにかわって実際に街歩きができたのは5~6回くらいではないだろうか。

会の世話人のベテランガイドのみなさんは下町生まれの浅草育ちなんかが多く、みんなを案内したくてたまらん、というような熱気がみなぎっていたし、なにより嬉しそうだった。

案内してもらうたびに、東京や江戸のことを語るのはやはり江戸っ子がいいのでは?と思うようになった。

よそものがいくらお勉強して知識をひけらかしたとしても所詮とってつけたよそもので、九州のいなかもんではうすっぺらなガイドしかできない。


江戸っ子であることを自慢したい威勢のいいひとがいる一方でおだやかでひっそり佇んでいるようなタイプの人が東京人にはざっくりいるような気がしている。

上野御徒町の骨董屋の娘の義母はみごとに前者だった。

歌舞伎に行ったり芝居をみたり、ほおずき市や羽子板市などの年中行事も大好きだった。

神田淡路町の「藪蕎麦」や浅草の「尾張屋」の天丼を自慢げにごちそうしてくれたりした。

からっとしていて、あとくされとは無縁。声も大きく、面倒みがよく、根に持ったり陰湿だったりがまったくなかった。

日本海側で育ったわしとしてははじめて目にする人種だった。


もう一方は東京人のくせに(?)意外や意外、おだやかで控えめでしゃしゃりでないひとたち。

鉄道写真家の並木さんたちはそんな人だった。

剣道の達人も、ヘリコプターもそうだった。

そしてぼくはそんな人が大好きだった。

人をちゃかしたり、えらぶったり、見下したりしない。このタイプもよく見かけた。


この2つのタイプの江戸っ子の先輩ガイドさんに町案内してもらって、わしゃもうこのひとたちのまねは逆立ちしてもできんわ、と茗荷谷を歩いているとき観念した。行事には参加するけど。


墨田区向島もいいな。

甘いものはからっきしだめだったけど曳舟橋の長命寺の門前の桜餅はおいしかった。

桜の葉のしょっぱさと甘さ控えめのあんこ。

西伊豆、松崎の桜並木の葉が使われている。

長命寺桜もち こだわり | 長命寺櫻もち (sakura-mochi.com)

若いころ、もう40年くらい前にこの桜もちを職場にたくさん差し入れしてくれたおじいさんがいた。

高価な菓子だった。

若い子たちにどうぞ、とうれしそうに手渡された。


同じくらいな歳になったいま、こんなおじいさんになれているだろうか。

江戸城の築城の際、石垣のあの巨大な石は伊豆から船で運ばれた。

京都では息苦しく、大阪だとやかましすぎて、松江の陰影のなかではびのび暮らせなかったかもしれないと思っている。

住めば都とは思わない。

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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