練馬区役所のホールには終戦の日に合わせて陸軍成増飛行場の写真を展示している。
帝都防空任務は西部では陸軍のこの成増飛行場と調布飛行場が受け持っていた。
B29の編隊はサイパン基地から富士山を目指して飛来し、そこで進路を東にとる。
無差別爆撃の前の主なターゲットは三鷹周辺の中島飛行機の工場で、爆弾投下後そのまま東京湾で折り返し南に避退する。
海軍の館山飛行場はこの避退する被弾したB29を迎撃した。
「二色戦鍾馗」
頭でっかちの重戦闘機だけど、12ミリの機銃ではB29の撃墜は容易ではなく体当たりで挑んだ。
これは特攻機。はじめて目にする写真。
特攻を前に面会に来た母親たちと特別に写真撮影されたものだろう。
死を目前にし、せいいっぱい平静を装い。
この塗装と思われる。
戦況の悪化とともに急遽防空のための飛行場がつくられることになり、農家は強制的に立ち退かされ用地を接収された。滑走路はいま光が丘の大通りとなっている。昭和18年10月。
そして終戦。
これは「三式戦飛燕」
戦争が終わっても敗戦を認めずなお徹底抗戦を叫ぶ軍人が特攻に飛び立てないようにまず、プロペラやエンジンを大急ぎではずした。
これは大戦中の最優秀戦闘機の誉れ高い「四式戦疾風」。戦後ハイオクタンガソリンとスパークプラグの換装でテスト飛行をした米軍を驚かせた。
成増に展開した飛行47戦隊。尾翼のマーキングは47をあしらっている。
海軍機の塗装にくらべ陸軍機の塗装は派手でバリエーションに富む。
いまもウクライナで侵略戦争が続いている。
ロシアの人民はこの戦争をどう理解しているのだろうか。
練馬区の相談員として相続についての相談を受けている。
相談者はほぼほぼ私と同年代の方々。
ひとつとして同じような相談はない相続は家族の景色をあぶりだす。
相続をきっかけにそれまでくすぶって顕在化してなかった父母、子、兄弟間の確執がせきを切ったように噴出する。まるで機雷か帯状疱疹みたいだ。
子のひきこもりなどの表に出にくい事情を抱える家庭も少なくない。
話をすすめるうちにしだいに明かされる家族の様子。まったく口をきかなくなった兄弟、数十年会っていない親子、疎遠な前妻の子、ほつれた糸をときほぐすように話を聞く。
事件屋の弁護士でもないから、なにより双方にとってフェアなアドバイスができるよう心がけている。
相談にこられる人が「かならずしも正しい見識をもった常識人ではない」という前提で臨むくらいでちょうどいい。
なにより相談を受けるぼくも問題の多いややこしいやつだことを認めたうえで(≧▽≦)