長野から先の直江津までは未踏の地。
黒姫、妙高高原、、、
すでに紅葉が美しい。
信州はあたりまえだけど寒いは寒いが空が高く青く澄んですがすがしい。だから悲壮感がない。それが長野の魅力。といいたいが、それは南信のおはなし。北アルプス一帯を臨む北信となるとそうはいかない。
朝、7時前に上越市に到着する。休憩兼朝食をとる。
おやじの旅のおきてのひとつに「できるだけ全国チェーンの店は避ける」というのがある。地場の、地元民に愛されている店を利用する」こと。
本能的に早朝の直江津では無理なのではないかと判断し、JRの直江津駅にいってみることにした。
たいてい、「うどんかそば」はある。
(しかし、先般訪れた「JR津和野駅の駅そば」はファンにおしまれつつコロナの影響で長い歴史を閉じた。)
男の子なら鉄道にあこがれるもの。
兄貴は国鉄の列車にあこがれ、ぼくは戦闘機と怪獣に惹かれていった。
それでも小学生の頃は「時刻表」を眺めながらまだ見ぬ駅や土地の様子を空想しながら旅したものだ。
「直江津」というところは国鉄時代の駅の中でも特別なところだった。
映画アンブロークンの舞台となった連合軍の捕虜収容所は直江津にあって、捕虜虐待の罪で戦犯が多数処刑されている。
石炭を貨物船に天秤棒で積み込む危険な作業を担わされ、海に落下して命を落としたり、、、
使役していたのは信越化学工業だったのか。
保線区というか車両の一大基地があった。鉄道管理局。門司や鳥栖のように特別な駅だった。
いまは、すっかりさびれているようす。
南口に申し訳程度に7時開店の「そばや」があった。
東京の立ち食いそばにも「いかげそ天」はあって「春菊天」とともに好物だけれど、ここのは大きいかたまりがごろごろ入っている。
しかも、真いかかスルメイカで、生いかとするめの中間くらいの歯ごたえがあって(よくいえば)、かみ切るのに往生しまっせ。
このごろ北九州の甘くなめらかな高級なイカしか食べてなかったから(といってもフツーのスーパーでお気軽に買える)よけいに勾配きちかった。
秋葉原の駅の立ち食いそば屋だったら、軽い騒動が起こりそうだったが直江津名物とうたっている以上すべてを喜んで受け入れるのが礼儀というもの。
さて、朝8時からやっている「道の駅 能生(のう)」のかにや横町に向かう。
140キロさきはもう富山。ここいらは国道8号線で日本海にそって糸魚川方面に。
まだ、店員も寝ぼけてギアのあがっていない状態の横丁。
デパートの開店直後の雰囲気で違うのはおばちゃんたちの刺さるような視線がまっしぐらにぼくに。
「訳あり」というコーナーにロックオン。「ミソ軽」、「足折」だという。
だから、どうした。わけがあろうとなかろうとおなじかにのなかまだろうが。
おばちゃんは訳ありを見つめるぼくを逆に品定めしながら、「食べていけるよ」という。
「どこでよ?」とあたりをみわたし尋ねると、
店の前の「テーブルでもいいし、海のほうでも。」と。
「海?」
「あそこのとびらから」と指さす。
一杯1500円のを頼むと、トレー(おぼん)にはさみとまあたらしいタオルとともに乗せてくれた。
わけありの1匹のほかに「もっともっとわけのありそうな」足のない子たちをのせてくれた。
「境港の常連だ」といってビビらせておいたからだろうか。
海岸にでるとそこは野球場くらいある芝生の公園になっていて、仮面ライダーの藤岡みたいなライダーがすでにバキバキやっていた。
かには全般的に「すかすか」との戦いで、ほんとうなら一杯ずつ手に取って重さと腹の透け具合で良し悪しを確かめるのが鉄則だけど、この横丁では「おばちゃん一任」制がとられているようだ。
みそはともかく、ねっとりもっちり甘さがひろがる。
「かにニキ」は満足。
祭日ともあって昼過ぎからお客が大挙してやってきた。
4杯、5杯のお客にはさらに、殻入れの「ふろおけ」までつく。
そして家族3代連れがあちこちで円陣組んでかにを味わっている。
異様な光景にも見えたが、近隣のひとたちらしく1,2月の禁漁期以外に楽しんでいる様子だった。
ベニズワイガニは0度くらいの水温一定の深海にすみ、とくにシーズンはない、ということだった。
保健所から必ず冷凍してから販売するよう指導されている
生の多かった境港とは様子が異なる。
そして、日本海の夕日もまた。
やわらかく霞んで、ゆっくりそしてしずかに色合いをかえていく日本海が夕日が懐かしい。