夜明け前の北九州で24時間営業のうどん店で朝食をとる。
これから大分までいかなくてはならない。
単身生活の時にお世話になったうどんチェーン店の早朝の店内にはさまざまな種類の客がいる。
客もまばらな店内のなかには朝まで飲み明かし、しめでやってくる若者やキャバクラ嬢やホストなんかが大きな声で騒いでいることもあった。飲酒運転するカップルもみかけてたまらず通報したこともあった。
その朝はひとりのはたちくらいの若者が食べた後突っ伏して寝ていた。
店員のおばちゃんが声をかけてもゆすってもうごかないため、体格のいいおにいさん店員を呼び会計をうながしていた。
ぼくは先に会計を済ませ車に戻りドアに手をかけたそのとき、
若者は会計せず寝ぼけたまま店をでたらしく目の前でおばちゃんが追いかけてきて自転車に乗ろうとする若者に会計をするように迫っていた。
おばちゃんに危害を加えるのではないかと察したぼくは動画をとろうとカメラをむけ、またいつでも110番通報できるようにしておいて様子を見守った。
おばちゃんは同じくらいの年の息子がいるのだろうか食い逃げをしようとする若者をぜったいに許さないという気迫があった。
若者が応じようとしないようすにぼくはとっさに大きな声で「警察に連絡するけどいいですか?」とおばちゃんに声をかけた。
刃物をもっている可能性もある。
そして、警察に通報するふりをした。
暴行するようすはなかったからだ。
すると、若者がこちらに向かってきて、
力なく「払うけ」とだけいった。
「会計を済ませるから警察には電話をしないでくれ」という意味だ。
まだ暗い中にうかびあがった若者の顔をはっきりとみた。
きつねのような細い目をした、暗く沈んだ顔だった。
目に輝きがなく、夢も希望も失くしたような見たこともないような表情のない悲しい顔だった。
食い逃げ未遂という軽犯罪であっても警察官がやってきたら彼のどうしようもない毎日がさらに暗いものになるだろうと思い、通報を思いとどまった。
もし、追いかけた店員が男性であったなら、声はかけなかった。
目の前でおばちゃんがひとりで必死に立ち向かっている光景を目の前にしたときにそれをほっといて車で立ち去るということがあればそれは後味の悪いふるまいだし、男として失格だと思った。
経営者の視点で見れば、店員の身の安全がいちばんで食事代の被害など取るに足らない。
ぼくが店長ならば常習犯ならともかく追いかけるな、と迷わず指示をしただろう。
ほどなく、若者は会計をするためにレジに向かった。
その間、あのおばちゃんはあろうことか若者の自転車を店の裏側に移動させていた。
人質にするために。
北九州のおばちゃんのたくましさ、すごみみたいなものを目にすることができた。(へんな男よりたくましい)
そして、店長とおばちゃんがお礼をいいにきた。
おばちゃんは食い逃げそのものより、まだ若い、これからの若者を叱るためにあとさき考えずに飛び出していったのだったのではないかと思っている。
悪評高い北九州には昔からよその子でも悪いことをしたら叱り、諭す文化がある。
悪さをすると知らないおじさんから怒られるのだ。
派遣社員の制度を推し進めたことが若者たちの社会参加が阻害され、彼らが社会から疎外された一因なのではないかと思っている。
社会に受け入れられていない若者たちがあふれて、結婚はおろか明日に希望を持てなくなっているのではないか。
あの、なにをやってもうまくいかないと訴えるような悲しい目が目に焼き付いて離れない。
ほかにもこの子のように悲しい目をして暮らす若者やおかあさんたちがこの空の下にはたくさんいるのだろう。
みんなだれしも「幸せになるために生まれてきた」、と思っている。
少なくともこどもたちには悲しくつらい思いをさせるわけにはいかない。
NHKの「ドキュメント72時間」が高い評価を受けている理由は社会的な成功者ではなく、そこに集ういまの社会的弱者や挫折した人だったり、わけありの人たちにもあたたかい目を向けていることにあると思っている。