もともと12月25日はローマの冬至の日であってキリストの誕生日でもなんでもない。
弟子たちが相談して布教するうえでこの日にしておくのがよかろう、都合がよかろうということになった。
じっさい聖書にも何も書かれていない。
当時はローマ帝国の役所に出生届などだすなんてこともなく、じっさいのところわからない。
ただ、キリストの誕生を祝う日を12月25日にしたということだろう。
コロナが収まるどころか家族、友人、知人が感染した。
できるだけ繁華街を出歩かないようにしてはいるけど、用事があったついでに池袋の巨大書店「ジュンク堂」で探し物をする。
仕事関係2冊かごにいれて、そしてあとは気の向くまま夢遊病者のようにうろつく。
しばらくぶりだとめまいがするくらいの巨大な大人のおもちゃ箱。
「キリスト教」関係のたなで「佐藤優」の著作をさがしたけど見つからない。
神学者が彼のほんらいの肩書だけど学者らしからぬ読み物に仕立てる。
そして、あれっと思った本あった。
東後勝明先生の本がなぜここに?
ラジオ英語会話はビートルズに心酔していた中学1年のころからしばらく聴いていた。
ジョンとポールから、おまえ英語くらい少しは覚えとけと言われたような気がする。
「勉強」のために聴くのではなかった。日常英会話は試験勉強には役に立ちはしない。
文法など最低限にして日常の英会話に特化した東後先生の明るく軽やかでのびやかな英語の発音は新鮮だった。
だれかに紹介されたわけでもなくすすめられたわけではなく本屋でテキストを見つけて耳をかたむけた。
当時の中学の英語の教師の発音はさいあくで、いま思えばあほの友人たちが教師をやっているくらいだから無理もない。今と違って「英会話」自体習得する機会も教材もなかったろうし。
テキストで覚えた最初のフレーズは、
I can hardry wait.だった。
「とても待てない!」
とても英語的な表現。
高校にいったら少しはましな英語の教師がいるかと思ったらそんなことはなく、英訳和訳はともかくめちゃくちゃな発音だった。まず、海外では通用しないだろう。
教師というのは子供相手に自分の殻のなかに閉じこもって先生、先生といわれながら過ごすことで「少しでもましになろう」とはしないものなのかもしれない。教師にかぎらずいえることだけど。
進んで赤っ恥をかけばいいのだ。本気になってどげんかせんといかんと落ち込むくらいの。
その後英会話のラジオを聞いてみる機会が何度かあったけれどど東後先生のようなウイットにとんで楽しいプログラムではなくなっていた。
その東後先生の本がなぜキリスト教の本棚に並んでいたかというと、先生は57歳でキリスト教に入信されていて、「余はいかにしてキリスト教徒となりしか」みたいなエッセイを出版されていた。
数年前、がんでお亡くなりになったようだけど、いまにも
「Welcome to our English conversation program!」
という明るいお声が聞こえてきそうで懐かしさに包まれた。