待ってました!ハンドブックとなって発行された38コースの集大成版。
「散歩の達人」は本屋で立ち読みして、気に入ったのはその都度購入してきた。ぼくにとってずっと長いこと隅に置けないバイブル的な雑誌だった。散歩のルートを辿って「そこを歩くかいっ」とおもわず叫ぶこともあった。
掲載されているほとんどのコースはすでに歩いている。「達人さん」にこんなもんじゃないぞ教えてあげたいほど地図なしで案内できる。
仕事の転勤で短い時で一か所に1年間、長い時で4年、東京をぐるぐる歩き回ってきた。歩いてはいるけど見落としや取りこぼしがやたら目につく。つまりえらそうにしていたが「達人」ではなかった。街のにおいを嗅ぎ分ける力がまだまだたりない。
ただのガイドブックではなく、町中華、蕎麦や、おみやげのだんごや、銭湯なんかがちりばめられている。つまりぼくのために編集されている。
町は生き物だから原型をとどめつつお店はかわる。「アド街」で吉祥寺を見た。刻々と気になる新しい店がオープンしている。いきつけの「清瀧酒場」だけでうだうだしている場合ではないのだ。
どうしても足は下町に向く。落ち着く。猫とおばあちゃんがうろうろしているとこがいい。
いまさらながらぼくは都会向きではないようだ。
ほんとうならあんたは「記事」を書く側だろうが。
うちの事務所の川崎、武蔵小杉支部の田園調布育ちの同級生がつぎつぎと仕事をもってきてくれる。
銀行員だったから地元とのつながりが豊富だ。
やつは一橋の一次試験に合格している。二次ですべった転んだとかでおくさんと同様同じ大学で知り合いその後付き合うことになる。
明日は川崎駅前のお客さんのところで彼とともに相談を受ける。
サッカーの選手だったし、いかにも身のこなしが洗練されていてスマート。ビジュアルもいいが女性で躓いている。
勝ち目がないためその弱みを酒のつまみにねちねちつつくのが楽しみで性格の悪さが全開となる(≧▽≦)
二十歳のころの川崎の商店街は殺気だって汚く空は暗く煙っていた。
京浜工業地帯の蒲田、大森あたりは住みたいくらいだ。
JR川崎駅より少しはなれた「京急川崎駅」界隈が猥雑でいい。
製鉄所などの3交代の工員さんたちでにぎやかだったころの北九州、黒崎を思い出させる。昼から酔っぱらってもそれがどうした、の町だ。
もとはといえば田園調布の川向うの工場地帯の武蔵小杉はハイソなまちに許しもなく変身しやがった。
その裏切りに呪いをかけたら玉川が暴れてタワマンが浸水した。
武蔵小杉は下水管が分かれておらず、雨水とトイレや生活排水が同じ配管を流れていたためタワマンに汚物が流れ込んだことになる。
ともあれようやく街歩きを復活させる。
街歩きサークルにも参加する。