九州飛行機「震電」がゴジラから日本を救う。
B29キラーとして昭和20年7月に「蓆田飛行場(現福岡空港)」での試験飛行に成功にする奇妙な格好をした戦闘機。
なぜゴジラは銀座が、銀ブラが好きなのか?説明は一切ない。
いやはや荒唐無稽の作戦と、シナリオ、それはともかくとしてこの「震電」と駆逐艦「雪風」がゴジラに立ち向かう主役に抜擢されたことにいささか驚かされた。
対策本部の本部長に艦長の寺内正道大佐が任命されていて、
くりそつの役者に感心した。どこでこんな役者さがしてきたと?
体重96キロ、柔道5段だった艦長。
「奇跡の不沈館」とか「幸運艦」と呼ばれるが寺内艦長の闘争心と巧みな操船で戦争を生き抜いた。
ゴジラは東京湾に沈んだが、やつはまたやってくる。
こんどは大阪湾の万博予定会場とIRの建設現場に。
そして破壊神となって維新の会の本部に向かう。
なんで「銀座ばっか?」との批判をあびてゴジラも答えに困っていた。
浜辺美波、もんぺ姿が似合っていた。和風美人かな。
金沢市の北東にある「津幡町」というとこの出身。
紅白で歌ったときはどうなることかと心配しながら固唾をのんで見守ったことを思い出し。
大阪万博を守るためにぼくが秘匿していたもう一機の「震電」のリストアをおこなう。
3階の倉庫からとりだした。
完成した1機はアメリカが持ってもっていったが、造形村工廠が制作したもう1機はほこりにまみれてここに眠っていた、
前輪が湾曲し車輪が外れ、主脚も片足となっている。
水平翼も紛失。
ただ、30ミリ機関砲4門は健在(零戦や紫電改などは20ミリ)で、
レシプロエンジンをジェットエンジンに換装する、
ただ、心配は搭乗員がゴジラではなくゴジラとともに万博会場と維新の会を国民の支持を受けて破壊してしまわないかということだ。
いまからでも遅くない。
まず能登半島地震の被災地を支援してほしい。