はじめてだから能舞台と見所(けんじょ)が一体化した能楽堂で観賞するのがベスト。
文化会館などは座席数が多すぎて本来の能を楽しむには大きすぎる。
「普及公演」というから初心者向けのもの。
千駄ヶ谷にある能楽堂は私の所属する団体本部のすぐ近く。
伝統芸能らしく和装の女性が多い。しかも「京都で着物きちゃいました」のまぬけ顔の女子ではなく、どしろうとのぼくでさえはっきりわかるほどの着こなしと立ち居振る舞いの美しい、年配の、そして30~40代の落ち着いた女性が目に付く。
「黒革の手帳」の米倉涼子のような凛として美しい銀座の高級クラブのママたち風もちらほら。
椿山荘のお見合いのにわか着物姿にない、普段から着物で人前にでている女性の「格の違い」というか存在感、気品の違いを感じてしまう。自然体で無理してないことがひとめでわかる。
つまり、これまで通った公演会なんかとは全くと言っていいほど客筋が違いすぎていて談笑する和服姿の彼女らに見とれてしまった。
さいきん、ニュージーンズの「ハニ」のかわいさに見とれていたが、また違う和装の美しさに思いをあらたにする。
男だって慣れないいいスーツを着ると、ちんちくりんの七五三になってしまう。
「着こなし」は一朝一夕では身につかない。
開演前に資料室をのぞく。
「狂言」は寸劇のコント。
見事な衣装はまさにファッションショー。
りょうすけのママのふだん、
そしてひとたび怒らせると、
ほんとは嫉妬に狂う高貴な身分の女性の心の内面を映す。
そして、じいじ
なんともいけずそうで、こにくらしか。
映画でいう「本」。文化5年、とあるから江戸中期のものか。
食事もできる。お酒も楽しめる。
「国立」だけあってお値段はいたってふつう。
歌舞伎だとこの合間にお見合いしたりする。相手の育ちや人柄を知るのには食事がいちばん。
歌舞伎座でも江戸の昔から桟敷席で対面するお見合いはおこなわれていたとのこと。
そうでなくても父と娘が桟敷席から、向かい合って反対の桟敷席で観劇するお見合いの相手の男性とその家族をことばをかわすことなく観察する、そして男性も父と娘をちらちら眺める、、、、
友人はお見合いの会場に向かう姿を駅で彼女のおとうさんにこっそり待ち伏せされお見合いの会場に入るまで観察されていた。
お見合いは駅に降りた時からよーいどんではじまっている。
いまだ、独身、、、
座席はあえて少なくしている。
本日満席。
たしかに「文化会館」や「市民ホール」でみるもんじゃないな。
普及公演だから、正面でも5,500円、わたしの中正面で3,300円という料金設定となっている。
開演前に能を楽しむためのガイダンスがあったのだけど、能の創始者「秦河勝」(はたのかわかつ)のことを「はたのこーかつ」、狡猾?といっていて違和感を持ったものの相手が国士館の表教授ではしゃーないと聞き流した。
「鵺」はいまの芦屋が舞台。
天皇を病魔に陥らせたとの理由で源頼政に弓で射抜かれ退治される。その後淀川に流された「鵺」はこの地で亡霊となってあらわれる。そして旅の僧と出会い、顛末を語り、鵺は僧に回向を願う。
顔は猿、手足は虎、体は狸、尻尾は蛇の亡霊のため仮面はおどろおどろしい。
座席の前にはディスプレイがあってシーンごとに日本語と英語の字幕でその筋を追えるようになっている。
眠くなる、といわれていたけど、まったくそんなことはない。
あらかじめすじがきを予習していたせいか、鵺の亡霊の葛藤や苦しみ、そして旅の僧がじっくりそのいきさつを聴き、供養するやりとりに感情移入してしまった。
ただ、前の席の高齢の和装のおばあさま二人はあきらかに途中こくっていた。
能には「敗れたものに勝者の栄光を語らせる」曲がいくつもあるとのこと。
結婚式で「高砂や~」をやる夫婦愛、長寿の理想とは縁のなさそうなおばさまにこれで少しは近づいた。
小ばかにしていてごめんなさい<(_ _)>
ディスカバー東京、江戸、さらにもっといきましょう。