妹夫妻は娘が良縁に恵まれないことを案じ続け、毎年そろって出雲大社に参拝し、まりやの実家の竹野屋に宿泊するというのが恒例行事となっていた。そしてもう出雲の神様にお願いしても無理かもしれないとの疑念が夫婦の心の中にむらむらと天を覆う雲のように湧きあがったそのとき、博多の青年とのご縁がかなった。
そのときにお土産にもらったのがこの「勾玉」で出雲のおみやげとしては有名だ。
ただ、こんどは勾玉についての疑問がむらむらと沸く。
縄文時代に出土されて、耳飾りとして、あるいは祭祀用に使われたであろうといわれている、だから穴があいている。イアリング。
翡翠は美しい。カワセミは「翡」(赤い羽根)と「翠」(青い羽根)をもつ鳥。
いろいろな石からつくられてはいるが、めちゃくちゃ「硬い」翡翠のこの穴はどうやってあけたのだろうか?
古墳時代前期だぞ。翡翠には「ジェダイト(硬玉)」と「ネフライト(軟玉)」の2つ種類があって、日本のものは硬度6~7の硬玉で糸魚川のやつが有名かな。
基準石の石英が7で
鉄は硬度4、ガラスが5だから翡翠ならよゆうで傷をつけることができる。
そして驚くべきは
歯(エナメル質)の硬度7
ただ、この子の弱点は虫歯菌のだす「酸」に弱いこと。
絶対王者はダイアモンド。堂々の10だけど炭素だから600度以上で燃えて酸素と結びついて二酸化炭素になってしまう。
さて、邪馬台国の卑弥呼さんの使節が中国に送った「勾玉」は硬いやつとするとどうやって加工したん?
鉄もない時代に、あったとしても硬度4では歯がたたない。だとすると互角に勝負できるのは石英かエナメル質か?
古墳時代には「シュミテクト」もないし、歯医者もいないなかで勾玉の加工は難しい。
糸魚川に翡翠探しにいってみたくなった。
翡翠の知識|《公式》糸魚川翡翠工房こたき (itoigawahisui.jp)
おみやげの勾玉、かじってみたらどうなるか、、、
硬度はけっきょくのところお互いが傷つけあってみないとわからんようだ。
古墳時代は謎の時代でわからないことだらけ。
古墳時代では古墳王国「堺」をはずして語れない。あらためて、千利休や与謝野晶子、1868年の「堺事件」ともども訪ねてみたい。
幕末、堺に上陸してうろうろしていたフランス人水兵11人が警備にあたっていた土佐藩士に殺害されて、責任をとらされた土佐藩士20人が切腹させられた事件。一人が切腹後、はらわたをつかみだして睨んでなげつけた(怖・フランスの公式の記録に残っており創作ではないと思われる)
切腹の様子をみていたフランスの艦長トゥアールがその凄惨さにたまらず、11人目が切腹したところで「もうやめてちょ!」と処刑中止を要請したという高校の日本史の授業での教師の迫真の演技が目に浮かぶ。