居座り台風10号に翻弄されて、予定の変更を余儀なくされた18きっぷの有効期限は9月10日まで。
南信の「飯田」を目的地にしていたところ、何を血迷ったか10号は急に北上してしまい急遽「銚子」を目指すことになった。
45年ぶりの銚子はひっそり静まり返って無人の街になっていた。
銚子港の水揚げ量は連続日本一で、2位の釧路に大差をつけてきたはずがどうしたものか。
事前にYouTubeの「廃墟」特集の番組を見てうすうす「銚子」の様子を知ってはいたがこれほどとは。
魚市場をうろついているのは観光客だけで、それを目当ての市場食堂がゆるく営業しているだけ。
いま、青春18きっぷでいける地方都市は、衰退と高齢化のようすを確かめにいくようなもので、活気を求めていってはならない。
相対的に衰退しているとはいえ大阪はやはり立ち寄りたいスポット満載で凄味があった。
火曜日朝5時の銚子港
「ヤマサ」や「ヒゲタ」など巨大なしょうゆ工場がある。
もう、観光客しかお客のいない市場食堂にはいかないことにする。値段と内容が釣り合わあわず、わざわざ銚子で磯料理をいただく意味がなくがっかりだった。まだ、伊豆あたりの食堂は東京からのリピーターが多いせいかまともだ。
ホテルのスタッフになして銚子こんなになってしもうたのか聞いてみた。
まず、近くに破壊王「イオン」ができて商店街が壊滅してしまったのかときけば、そうではない、という。
ここ近年、とにかく魚が獲れなくなった、海水温(かいすイオン)の影響で、魚が北海道のほうにいってしまって、まずはサバがあがらない。イワシはとれるけど金にはならない、マグロもそこそこだけどそれほどでもない。
人口が9万から6万に減って、町には高齢者しかいない。
テナント募集、売物件、多数。
廃墟となった商店街の筆頭はなんといっても鳥取駅前だった。くらべても仕方ないのだけど。
ここは廃墟化と思ったら営業していた。失礼。
なにより人に出会わない。ねこもいぬもみかけない。
気になったのは昭和の正統派食堂のここくらいか。
千葉の鉄道路線にはほとんど興味がなく、「成田線」がどこをどう走っているのかさえもわからなかった。沿線の景色は単調な田畑が続き台風で雨につかって横倒しになった、収穫まじかの稲が痛々しい。
まるで、60年前の山陰本線のような景色が続き、楽しかった夏休みの子供のころを思い出す。
銚子鉄道が資金難・経営難であえいでいる。
45年前に終点の岬の駅「戸川」漁港から釣り船に乗って高級魚「あいなめ」釣りにいった。
職場の同僚10人ほどで仕立た船だったが、岸を離れて10メーターほどですぐに課長が横になってしまった。甲府の人だから無理はなかった。次は喘ぐ姿をとなりで見ていた係長で二人とも竿を持つことなく船上で逝ってしまって、納棺状態だった。
二人は苦しそうに虫の息で「上がろう」と口にしていたが、腕に自信のあるほかのものたちは荒波何するものぞと(上下におそろしく揺れた)立ち向かっていて忙しくそんな死体の戯言につきあうものはいなかった。
がんがん釣れて、たちまちクーラーボックスがいっぱいになって午前中に納竿して、小骨が多く自分では捌けず近所の寿司屋の大将に「はんぶんあげるから捌いてくれんね」と頼んだほどだった。
戸川までいってみようかと思ったが、またさびれた高齢者の集落になっているのを確認しに行くようなものだからやめておいた。
利根川は大河中の大河だ。
叔父のいた赤城山の前橋のあたりですでに大きな川で、それが支流を集めながらここまでやってくる。