友人は渋谷区笹塚の生まれで、笹塚小学校に通っていた。
京王線で新宿から一駅、徒歩2分の高級住宅地の自宅を改築した。うらやましい。
牛も歩く山や野原をかけまわって育ったぼくとは大違いの都会のおぼっちゃん育ち。
おぼっちゃんではあるけれど69歳のいま、後期高齢者に向けまっしぐらで、笑いながらチャック全開で駅周辺を歩き回った。
いまぼくは江戸の歴史をかなりしらべあげている。
歌舞伎に頭を突っ込んでからさらに磨きがかかってきている。
そして、知ってしまったのだ、「笹塚」のヒミツを。
「塚」の名がつく地名は「墓」「墳墓」があったところで、「笹塚」も例外なくそうであったろうとは思っていた。
ここは江戸時代、重罪人の処刑場だった。
友人は先刻ご承知と思って話を振ったら、知らないという。
「牛」が祀ってあるお寺があるはずだ、と尋ねたら母校の小学校の近くにあるという。
すり鉢の底のようななるほどと思えるような地形で、「江戸にきて悪さをすると見せしめに磔にされる」の甲州街道版があっただろうことがわかった。
問題は彼が「これまで知らなかった」ということで、小学生の時に「郷土の歴史」で習うはずがどうしたものだろう。
黒歴史だから封印したな、社会科の先生たち。
なぜか広島お好み焼きの店で近況報告したあと、その「牛窪」にいってみた。
お寺の由来書きに、「重罪人」「酷刑」などおそろしい文字が躍っているのを、彼は見てしまった。
このまま、知らないままボケてもらったほうがよかったのかもしれない。
牛裂きの刑といって罪人の両足を牛に引っ張らせて引き裂かれた処刑だったから。
しかも、牛の背に藁をのせ火をつけ、興奮させた。
どうなるかは、とてもこれ以上、、、
酷刑”牛裂き”の地で歴史を語る 幡ヶ谷・牛窪地蔵尊 – 仏像ワールド (butuzou-world.com)