「企業にも言い分がある」、そんなことはない、言い分はない。
水俣病資料館より
土地勘がなく有明海と八代海がごちゃ混ぜになっていた。
水俣は熊本の南端、対岸は天草。島原湾と八代海に分かれている。知らなかった。
「三角港」とあるが西海橋のあるところだろうか。小学生のときに連れて行ってもらった記憶がある。
ネコが踊り死にして、カラスが落ちてきたり、原因不明の奇病に苦しむ人たちが多数でていながらその原因が自らの工場の廃液にあることを認めようとせず、その後もメチル水銀を昭和43年まで垂れ流し続けてきたチッソ。
水俣市の税収の半分を占め、多数の工員とその家族の生活がチッソに支えられていたことがその後長く続くことになる被害者の支援の困難な道のりをややこしくさせた。
水俣駅の駅前にある大工場の正門には「チッソ」の文字はなかった。
「JNC」と社名をかえていた。
患者の補償と救済が完全にすむまでは「チッソ」は絶対に残しなさい。
「JNC」は「JAPAN NEW CHISSO」の略でチッソの子会社で、
この工場では被害者の補償と切り離され操業している。
町を歩いていても、どこにも「チッソ」の文字がみあたらない。
市民も「水俣病のまち」と言われ続けて差別もあったことと思う。
ここまでチッソ城下町だとは思わなかった。
駅周辺の飲食店もわずかで、お弁当屋さんですませることにした。
被害をうけながら認定されなかったひとたちも多数おられると思う。
亡くなった犠牲者のみなさん。
参考までに(Wiki)
穏やかな八代海。
天草を臨む。
この美しい海に企業がここで起こした犯罪を問う。
わたしを水俣に誘ったのは、作家でもない普通の主婦の石牟礼さん。
そして、ジョニー・デップ