「形見」の語源。
天皇に即位(継体天皇)することになって京に向かう皇子から「」に届けられた手紙と愛用していた花籠。
照日の前は即位への喜びの一方で皇子への狂おしい思いは募り、狂女となって都に向かう。
そして差し出された花籠を見てこの目の前の狂女があの照日の前であることを知り、都へ連れていく。
「照日の前」は身分の低い女官の女御(にょご)であった。この曲はめでたしめでたしで終わるからいいけれど、
逆に「恋重荷(こいのおもに)」という曲のようにこの女御のたいくつしのぎにはかない恋心を弄ばれる庭師のじいさんを扱っているのもある。じいさんはそれを知って後場で「鬼」となる。そして女御は回心し、鬼も「葉守りの神」となって女御の守護神になる。
同じすじがきの恋の悲劇を扱った曲の「綾鼓(あやづつみ)」ではじいさんは最後まで鬼となって女御を鞭打ちにする。
その気にさせられたじいさんが不憫でならぬ。
それをもてあそぶ女御。
いまなら新宿歌舞伎町。
「恋の情念」のエキスパートであった世阿弥も将軍様の前で演じるときは顛末をキラキラのめでたし系のものにした。
ぼくらじいさんのときは神ではなく鬼のまま。
よーし、わかった、「鬼」になったろうやないかい。
檀一雄に「花筐」という短編がある。
そしてそれをきっかけとした唐津が舞台の大林信彦さんの同名の映画もある。
ぼくの形見はというとなんもないなぁ。