
さかのぼること12年前に大腸憩室炎で1週間絶食の刑を受けて小倉の大病院に投獄された。
さらに2年後再犯でこれまた1週間服役した。
その後、入院にはいたらなかったけれども、同じような痛みがでたとき、診療所に薬(ヤク・抗生剤)をもらいにいった。
どこか体に問題があるようで、大腸にくぼみがあってそこで炎症を起こす、という。
ヤクで治まるため手術する必要もない。が、再犯を犯すらしく、そのたびにヤクをもらいにいかなくてはならない。
そんなからだになっており、大腸の「器質的」な問題であるということから病院は手術を勧めることもなく「放置」している。
さて、それはそれとして、このヤク中の子は田代まさしと同じように問題を起こすことがある。
それは、年々増加傾向にある「大腸がん」でぼくもいずれ体内で遅かれ早かれ同居するようになろだろうと覚悟している。
まわりの同窓生たちが次々に病に倒れるのをみるにつけ、じぶんだけ無傷でいられるわけはないとすなおに思う。
じぶんだけ長生きしたいなどみじんも思わない。
ともあれ、いい人、いいやつほど早世しているところをみると、外道のぼくの順番はまだ先ということになるだろう。
その順番が早いか遅いかは問題ではない。ありのまま、限られたいのちを受け入れる覚悟はできている。
旅行へ行ったり、おいしいものをいただいたりする機会が減ったとてそれがどれほどの意味を持つ。
ただ、残された事務所のスタッフと家族はどうなるのだろう。
信頼して仕事をまかせてくれているお客さんたちはどうなるのだろう。あらたに所長をさがし、混乱は避けられないがなんとかなるものだけれど。
そんなことを思いながら、そしてもし、体内に友だちになりたくないやつがいたとしても、先生や家族のまえでみっともない姿を見せることなく、泰然自若、だからどうしたと平然としていようと検査室のベッドに横たわった。
今回は点滴麻酔を選んだ。
点滴をみていたらすーっと意識が遠のいて、気が付いたとき景色はかわっていた。
快適な睡眠だった。やはり、ヤクはいい。お花畑がみえた。
「もっと、寝ていていいですよ」といわれた。
ためしにそっと起きてみると、
2年前、大宮の「キンミヤ」系の店で焼酎黒霧島焼酎飲みすぎて泥酔して、自宅の富士見台の駅の階段を降りるとき、足がもつれてうしろの青年に「大丈夫ですか?」と声をかけられたあのときのように、ふらついた。
生涯、はじめてみせた酔っぱらいの醜態だった。
友人から紹介されたお客さんはめっぽうお酒の強い同い年の女性だった。
ことしも仕事をお願いされて、「終わったら飲みにいこうよ」と誘われてはいるが、どうしたものか。
先生から検査結果の説明があると呼ばれた。
先生はにこにこしていた。
説明を聞くまでもなかろう。

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