波乱続きの博多3泊旅 Day3 2025/4/4

いよいよ明日東京に帰る。

本日の夜の部はぎりぎりまで決まらなかった。

よせばいいのに春休みで人々が移動する時期にきてしまった。

アメリカから一時帰国する息子たちを迎えるための日程がきまらずけっきょく子供たちの来訪を見合わせるとの連絡を本人から前日に受けた。

なので明日お会いしましょうと。


目のおおきな初恋のひとだった。

しっかりもので学級委員をしていた。

小学6年生のとき突然転校してしまった。

しばらく魂が抜けたようにぼんやりしていた。

もちろんその後の消息は知る由もない。


彼女は1年半前に松江の家を引き払って博多に転居していた。

博多にいるならいつか会おうと思っていた。

それまで松江で会ったことはあるけれどそれくらい松江は遠く感じていた。

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待ち合わせたポストでひさしぶりにあったとき、老眼鏡のせいでなつかしい大きな目がなおさら大きく見えて笑ってしまった。

不思議な縁だった。

もう20年くらい前だろうか。

郵送された中学の同窓会名簿に彼女の名前を見つけて住所をみたらふるさとの「松江市」の文字があった。

もう八幡のこと小倉のことはどうでもいいと思っていて小中高の同窓会も無視してきた。

ただ、生まれ故郷は別で、当時松江のとなり町の「出雲市」に大学時代の友人がいて、松江を訪れたときにいろいろ神社仏閣などを案内してもらったりしていたのだ。


あるとき、その彼女に車で宿まで送ってもらったとき、別れぎわに「これからともだちのうちに遊びに行く、もともと北九州のひとで名前は〇✖さんていうけど知ってる?」

と尋ねられて、

「あのなぁ、北九州は100万都市だぞ、知ってるわけないだろうが」と笑い飛ばした。


そのひと、〇✖さんがまさしく本日のお相手だった。

なぜ、ふたりがともだちだったのか聞いてみた。

ふたりのご主人がともに大学の先生で、出雲にあった官舎でいっしょ、そして4人がみな同い年であったこともあって家族でおつきあいしてきたということだった。

あのとき旧姓で訊かれたら即死していたかもしれない。

助手席ではなく、運転席だったら危なかった。

人生は好むと好まざるを別にして偶然と必然がからみあいながらすぎていく。


博多のKITTEの上層階のレストラン街はセンスのいい店舗が目白押し。

とはいってもそんな上品めかした店にはもちろん入らないけど。

地元の騒がしく煙たくどろくさい店のほうがいい。

上品な「もつ鍋」屋さんへの違和感。

ともあれ博多にきてよかった。

第3夜のいま、となりにあの子が当時のおもかげそのままに笑顔で座っている。

女子アナのようなしっかりとした受け答えができることに驚きをおぼえながら。


 


 


糸島の桜も満開。

作成者: user

還暦を迎えてますます円熟味を増す、気ままわがまま、ききわけのないおやじ

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