
これでもう、持ち歩かんでいい。病院で診察券だけもってけばいい。
ウォレットにこっそり忍び込んだ格好になっている。
タップすると、

さくら色のじみーなやつ。
しかも、無表情でもちろん番号は表示されない。

デジタル庁さんからお許しがとどく。
デジタル庁はあのわけのわからん河野太郎の顔を見なくなってすんでせいせいしている。
精神衛生上よろしくない。
都知事選で160万票を集めてまっとうな都民を震撼させたあの人物についてようやく人々は彼の手法、論法のスタイルというかやりくちの特徴に気がついてきているのではないかという気がする。
一見、相手を「論破」しているようにみえてしまうが、彼の土俵にひきずりだされていいようにもてあそばれているだけ。議論がかみ合っているわけではない。ことばを操ってあたかも自分が正しいと錯覚させているだけだ。
それが証拠に安芸高田市に何を残した?
自分は正しい、間違っていないという確信はあの兵庫県知事に通ずるものがある。
東京都議会選挙で立候補した42人が全員落選したときの「敗戦?」の弁がそれを物語る。
サイコパスにひっかきまわされて安芸高田市のおじいちゃん議員さんたち大変だったな。
この二人の顔も見たくない。
下田のあじさいは日本の女性そのもののように感じる。
日本の女性は欧米人がいうほど物静かでも可憐でも、控えめでもない。
雨の季節の妖精のような、鮮やかでありながら淡い、色のにじんだ半透明の水彩画が似合う。
2025/5/13




