
八幡、黒崎の藤田にあるスナックは高校の同級生のマスターがひとりで経営している。
お客の大半は26期生、あるいはその連れという客構成でほとんど占められている。
昭和54年に卒業してからもう50年以上でいつこの店を開いたのかはわからないけど、地元に就職した人はもちろんのこと、ぼくのような東京在住者たちがふらっと2次会にやってくる。
もちろん、明朗会計で同窓生価格。
よくやってけるな、よくぞここまでやってこれたな、と思う。
コロナの5年はさぞ苦しかったろうと思う。
でも、ほかの高校にもこんな店があるのだろうか。
マスターはきさくでひょうきんだからこそ、
そして、彼の、ここだけのはなしをぜったいにしないオープンな姿勢があってこそこの店を守っていると思う。

開業医の友人が、体調不良でクリニックを閉院するというので慰労したあと彼の希望で5年ぶりにこの店を訪れることになった。
たいへん賑わっていた整形外科のクリニックで20人くらいあたりまえに待合室で患者さんが辛抱強く待っているほどだった。
「もう、さんざん働いてきたのだからゆっくり休めよ」とねぎらう。
医学部の学生の時、下宿にいって同級生たちと、そして彼の彼女とで鍋をつついたものだ。
そのときの彼女が薬剤師となって彼を支えた最強のクリニックだった。
激務から放されたいま、山岳部だった彼は尾瀬や木曽駒ケ岳、乗鞍岳にでかけている。
かならず奥さんを同伴して急な心臓発作に備えて。
マスターのところには高校生の時、あるいはみんなの今のようすなどが逐一もたらされて、アップデートされている。
単身赴任の終わりにおとずれたとき、はじめて書いたラブレターのお相手の子の消息を聞いた。
映画に誘ってはじめていっしょに観た映画はあろうことか、
「燃えよドラゴン」だった。
デートどころではなかった。
それどころではなかった。
手を握ったら、彼女の手をぼきぼきにして病院送りにしているところだった。
その後ぼくから連絡をとることもなく卒業してしまった。
「小さな恋の物語」くらいにしとけばよかったと、興奮からさめて思った。
もうそろそろマスターに話してもよかろうとてれくさかったけどマスターに話した。
在学中、だれとだれがつきあっていた、その後どうなったか、いまどこでどうしているか、彼の頭の中にはいっていて、随時情報が更新されている。
50年の歳月はすべてをコメディーにしてしまう。
すると、マスターは「こないだきたときの写真があるよ」と笑いながら見せてくれた。
端正な、きりっとした顔立ちはそのままだった。
「携帯の番号、教えようか?」
いいよ、また今度、と。
単身赴任中に聞いておれば東京に帰る前に会っていたかもしれない。
恋に恋したころの青い失敗。
青春時代、高校生の時にラブレターも書いたことのないやつは男じゃないくらいに思っていた。
淡い青春を刻みたかったが、刻まれたのはブルース・リーのぬんちゃくだった。
(女子でラブレターももらったことのない子は女じゃないとまではいわん、おそらく大半がそうだろう)
頭出しをしておいたから、近くにすんでいるようだしこんど会って、頭をかきかき当時の無礼を詫びよう。
黒崎祇園山笠がはじまる。
博多の祇園山笠にくらべて知名度はないけれど、それはそれは勇壮で荒っぽく、電飾きらめく男まつり。
ぼくは勇壮ではないけれどここで育ったのだった。いや、育ててもらったのだ。
高校生まで大きくしてくれたこの街を誇りに思うし、感謝している。
練馬区から物価高騰対策給付金が振り込まれている。
これはぼくが受け取るべき給付金ではない。
コロナでさんざんやられた上に、物価高騰に苦しむマスターにはそのぶん色をつけて帰り際に渡した。
まるで神様かのように手を合わされて。
それはちゃっかり計算づくの彼女との再会をお膳立てくれるための手付金として(=^・・^=)
