
20代からの日本経済新聞の読者で、株式・経済の動向の記事よりまずさきに紙面の最後の「私の履歴書」を読んだ。
いま、若者たちは新聞を読んでいない。そんなとき「日経」と「東京新聞」の二紙をとっているぼくは変わり者の部類に入るだろう。
小汀さんは出雲出身で東京にでてきて早稲田を卒業し、国会の議長秘書官を経て日経新聞の前身の「中外商業新報社」に入社、その後社長を務め、のちに「時事放談」の論客として細川隆元氏とともに歯に衣を着せず、いまでいうところのそのときどきの「世相をぶった斬って」きた。

数ある「私の履歴書」のなかでも読み応えのある「履歴書」が集められて日経ビジネス人文庫」として編集された。
TV「時事放談」はよく親父が観ており、口は悪いが核心をついた批評に事を得たりと頷いていたもので、一台しかTVがなかったあの当時、家族はしかたなくつきあわされていた。
志をもって荒波の中に身を投じた戦前の先駆者たちの生きざまには圧倒される。
貧しさと混乱の時代の中に生まれ、ときに時勢に抗い、抵抗し、これと決めた事業を発展させて時代を切り拓く姿に。
戦後の混乱期に生きていたそうした偉人?にくらべると、いまのサラリーマン社長の「履歴書」はいかにもうすっぺらく、どうでもいいようなひとの出世話をつらつら追っていくものになり下がったものも散見される。
だからいつしか「私の履歴書」はすっとばして読まなくなっている。
「履歴書」で紹介すべき、取り上げるべき波乱に満ちた人生がみあたらなくなった、ということはそのぶん平和な時代を映したやさしいが、ドラマのない読み応えのないような履歴書になるのもいたしかたない。
猛暑続きの夏場は車中泊しないことにした。
エアコンの効いたホテルで過ごす。
そして、白州の天然水を汲んで、地元甲府双葉のブックオフで掘り出し物を探す。


「金本位制の復帰」に体を張って論陣を張り阻止しようとしたくだりが印象深い。