
壇ノ浦の戦いの1年半前に豊前柳ヶ浦の沖で入水した平清経の物語。
平清盛の子平重盛の三男、つまり清盛の孫。
京に残した妻に清経が「豊前の国の柳ヶ浦」で前途をはかなみ、舟より身投げして果てたという知らせが届く。
使者が携えた形見の「遺髪」とともに使者、妻、そして清経の霊が語り合う。
清経の妻はあの、清盛打倒のため俊寛と謀議をした「鹿ケ谷の陰謀」の藤原成親の娘。
「平家物語」が関門海峡でつながった。
このとき清経21歳。
この「修羅物」は軍記をベースにしつつも世阿弥の創作を含む。
都を追われ、大宰府へ向かうも重盛の家臣だった豊後の豪族緒方惟栄が寝返って大宰府を攻めようとしたため、「山鹿の城」(芦屋)に逃れる。
その後、原作には「豊前の国、柳ヶ浦」に入水したとあるが、大分の「柳ヶ浦」とするものと、「彦島の対岸の柳ヶ浦」(門司)と解説するものがあるがどっちなんだろう。
皇室とかかわりの深い宇佐神宮、そして安徳天皇とともに多額の財宝を奉納した平家一門、大分の柳ヶ浦のように思えるがどうだろう。
ただ、彦島(下関)、門司にはいろいろ残っているようで否定もできない。

平家は門司に「内裏」をつくろうとしていたがかなわずあきらめた。彦島は平家の里だったこともあってそれもあったかもしれない。しかし地名として「内裏」は残った。
「内裏村」となり、江戸中期に「大里」と改称された。
門司駅もむかしは「大里駅」だったとされる。
地図の門司駅の東側は「柳町」というが関係はあるのだろうか。
そして平家一門は宇佐へと向かう。
あさっての公演の下調べはこれくらいでいいのだろうか。