
ジムの行きかえりに石神井川にかかる橋をわたる。
石神井川の湧水は古来から上水として利用され江戸時代にはおおいに江戸の町をうるおしてきた名水だ。
石神井公園にはかつて50メートルの「区民プール」があって結婚して石神井公園に住むようになってからよく通ったものだ。昭和の初期には100メートルプールがあって軍事教練やオリンピック水泳の選手のトレーニング場として使用された。
地下水だからめっちゃ冷たく、唇を紫色にして泳いだ。
25メートルなら息継ぎなしの潜水は余裕だけど、50メートルとなると厳しかった。
湧水の地で、中世には豪族豊島氏が当然のように池のほとりに城を構えた。
徒歩圏内にこれだけ自然豊かな秘境のような幽玄なサンクチュアリーがあることは驚きでもある。
だから、あたりは練馬屈指の高級住宅街となっている。
石神井川は大半が護岸工事が施され、無機質な流れになってしまったけれど両岸にはみごとな枝ぶりの桜並木が延々と続いていて桜の開花の時分にはそれはそれは見事な春を告げる景色だった。
その日、いつものように橋を渡っていると、ご高齢の(あんたもやろが)おじいさまに声をかけられた。
「あそこに、かわせみがいますよ!みてください、
ほらあの階段に!」
まさかと思った。熊本や鹿児島の清流ならいざしらず、ここ23区にいるはずもない。
たしかにさかなを狙うかわせみが見えて、うわっといってしまった。

「きれいですね。翡翠色の」といったら、おじいさんはその「翡翠色」といったことに感心していた。
かわせみは「翡翠」と書く。
おじいさんはありったけの笑顔で「あなたは運がいい。」といってくれた。
気配を感じ取ったのか宝石の鳥は飛びたった。
「声をかけていただきありがとうございました。」といって別れた。
そして帰りの道すがら、このおじいさんのことを思った。
いいご家庭が目に浮かぶようだった。
この宝石の鳥をこれだけ愛で、やさしく見つめるご高齢の先輩。
奥様はもちろんのこと、子供や孫たちもおなじように大切にされているに違いないだろうと。
それだけじゃない。きっと会社の同僚、部下にも同じようにふるまってこられたのだろうと。
それにひきかえお前はこんなふうに年を重ねているか?と自分に問いかける。
こんな先輩が近所に住んでおられることを誇らしく思うと同時に、
ふたりの(ひとりは鳥だけど)「翡翠色の宝石」に出会えたことがなによりの幸運で、つまりその日はいい日であったと。