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Trumpの暴風

イギリスのEU離脱も

Trump大統領の誕生も読めなかった。ありえない、と。

国際問題、社会情勢の流れも読めない。お笑い芸人の笑いにもついていけず、夕食のとき、うるさいだけのテレビは消してしまって、とりだめた東映映画チャンネルの任侠ものとかをi-Pad Proで

みている。昨日は「県警対組織暴力」でどちらが警察でどちらがやくざなのかわからない時代の松方弘樹、菅原文太、梅宮辰夫が暴れまわるやくざもの。

こんなふうに昭和の東映任侠路線映画ばかり入り浸っている自分はだんだん世の中から取り残されるのであろうか。

それにしてもTrump大統領の誕生には驚いた。

アメリカの良心はこんなお騒がせな人物を選ぶはずがないと信じていた。

アメリカは

対話協調より独断と命令を選んだ。

紳士よりならず者を選んだ。

西部劇に出てくる町の保安官に銃を持たせたかった、のであろう。

生活がままならないアメリカの白人の不満がここまで大きく膨らんでいたことに気づかなかった。

白人の、白人のための国に戻ろうとしているかのようだ。

寛容さがアメリカそのものであったはずが、国民の多くが非寛容に向かい始め、粗野でがさつで無法者の暴君に国を託した。

アメリカの属国である日本は暴君の一挙一動に怯える子犬のようだ。

属国の一小市民で,まるで社会情勢についていけないおろかなおやじは暴君に一喝される。

You’re fired!

あんたにいわれなくても、7月にくびになる予定です。

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高倉健 メモリアル


2017.1.26

無口でひたむきで、朴訥で、洞海湾の似合う男。

男気があること、男らしさがいちばん大事にされ、尊ばれた時代を描く映画に輝きを添えた稀有な唯一無二の名優。

女性にはぶっきらぼうで、不器用であるけれど、暖かいまなざしを向けていた。

特別展では、数々の出演映画のシーンが時代別に映し出される動画中心の展示方法がとられ、画面のなかで躍動する健さんの姿にこころを重ねることができる。こんな俳優と、いや、こんな方と出会えたこと、同時代を過ごせたことを嬉しく思う。

まして、北九州、八幡の本城小学校の私の先輩と思うと、なおのこと誇らしく、平日なのに混み合っていた会場にファンの方々が熱い視線を向けられていたことに胸が熱くなった。

今回のイベントを記念して編集されたアルバムもすばらしい仕上がりで、宝物となりそう。

「沈黙」のスコセッシ監督も健さんへの思いをアルバムのなかで「高倉はハンフリー・ボガード、ジャン・ギャバン、マルチェロ・マストロヤンニ、そして三船敏郎のように、カメラに対して自身の存在感を純化できる真の映画人なのです。」と寄せている。

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沈黙 スコセッシ監督に贈る

 

私は聖書を読まないし、教会にもいかない。

ただ、神の意志、御心を感ずることがある。

それが、聖書、イエスそのものとも思えないが、間違いなく自分のそばに神は在る。

パライソにいけば苦痛や悩みから解放されるとも思わない。現世にこそ、喜びはある。

折にふれ、神の意志は感じる。

すべての人々の心の中にある神性に教えが繋がったとき、信仰がうまれ、信徒となるのであろう。

ロドリゴのなぜ、あなたは沈黙しておられるのですか、というイエスへのきびしい問いかけへの答えは私は持ち合わせていない。

パードレが神を疑うことなどあり得ないとして、基督教会が遠藤周作のこの作品の文学賞の受賞に圧力をかけたとあるが、
あってはならないことだ。

信仰の強さと人間の弱さの中での心の葛藤と格闘と、赦し、神への問いかけ、がこの作品の主題となっている。

ロドリゴが幾度となく問いかけるように、迫害と弾圧の中での命がけの布教と、平和な幸せな時代の布教とは全く違うもので、

信徒たちの命と引き換えに棄教を迫られたロドリゴを非難する資格はだれにもないはずだ、と感じた。

目の前で逆さ吊りにされ悶え苦しむ信徒たち、簀巻きにされ海に投げ込まれる信徒たちを見捨てて、自らの信仰を守ることをイエスはパードレに命ずるのだろうか。

司祭たちは死を怖れてはいるのではない。

自分のために簀巻きにされて、海に投げ込まれる信徒を救おうと海に飛び込み、信徒にすがるガルべの体を役人が棒でついてもろとも沈める、、、

ひっそり信仰を守って暮らすキリシタンに対する幕府の肉体的な拷問もさることながら、パードレたちを棄教させるため、パードレたちにではなく信徒たちを拷問にかけることにより、階段を一段づつ上がるような狡猾なやり方でパードレたちを精神的に追い詰めていく過程に胸が締め付けられる。

日本最大の一揆であった島原の乱を契機に黙認されていたキリスト教を危険思想として禁制し、棄教の強制と弾圧に転じた時代背景のなかで起きた、かずかずの殉教と棄教。

フェレイラの、この国の信徒たちが信じていたのは我々が信じているキリストの教えではなく、ゼウスは大日如来のことだ、というくだりも考えさせられる。

村人のモキチ役の塚本晋也の真摯でひたむきな演技が光っていた。素朴で力強い信仰をもつ農民を好演していたほか、通詞の浅野忠信とパードレとのやりとりは見ものであった。

パードレに告白する片桐はいり、看守のプロレスラー高山など、この作品に必要だったのだろうか、という思いもある。

キチジロウ役の窪塚洋介については、役柄が極めて困難につき、評価は差し控えたい。

自ら敬虔なカトリック信者であり、パードレになろうとしたこともあるスコセッシ監督に感謝する。

五島や平戸の信徒たちにご加護あらんことを。


2017.1.26

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「神功皇后(じんぐうこうごう)」と皇后崎

北九州市八幡西区の「皇后崎」の地名の由来となった石碑。

国道3号線の黒崎と陣原のあいだにあります。

昭和9年建立とあり刻まれた文字が判読できません。

「史跡 皇后崎 神功皇后御西征之時・・・」

新羅征伐のあった西暦360年頃に皇后は第14代仲哀天皇とともにこの地に上陸し、帆柱山から切り出した大木で船をつくる。

当初は「西征」西方を征伐するためであったが、なにもない西方の地より金銀のある新羅を征服したほうがいいとなり、新羅では「戦わずして新羅は降伏した」とされる。

昭和9年建立の意味は昭和6年の満州事変、同12年の日華事変のさなか、軍部の中国大陸侵攻方針のもと戦いの神である神功皇后の功績を称えようとしたところにあるのであろう。

シャーマンで猛女神功皇后は海の民で航海術にたけた宗像氏とともに、古代の日本海の荒波を航海したわけだ。

その子である応神天皇、さらに続く仁徳天皇の時代は古墳時代でもあり、北九州には墳墓が多くみられる。

2017.1.20

 

 

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蓋井島(futaoijima) 下関

 

蓋井島(ふたおいじま)

神功皇后の三韓征伐(369年)のさい、舞台となった島らしい。

山口県のサイトによればその名の由来は「神功皇后がこの島に立ち寄ったときに、この島の水をほめ、その後はふたでおおったため」とある。

日本武尊→仲哀天皇(神功皇后)→応神天皇→仁徳天皇、と続く。

この島が気になってしかたない。

 

蓋井島  2017.1.15

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俵山温泉 長門市

俵山温泉  916年(延喜16年)開湯

「溶存水素の還元作用による抗酸化力と抗炎症力」(温泉博士松田忠徳教授)を持つ長期滞在療養型温泉。

PH9.8の強アルカリ泉で浸かると肌がたちまちつるつる、ぬるぬるしてくる。

このまま自分は「うなぎ」になってしまうのではと心配になるほど。

私はもちろん西日本一のアルカリぬるぬる温泉目当てにやってくるのだが、

もう一つ、忘れられた日本の里山の静かなたたずまいを求めて通ってきていることに気が付いた。

湯けむり、川のせせらぎ、鳥がゆったり舞う澄んだ空の下で寄り添って暮らす人たちの景色に魅せられて。

煙突の煙とダンプの地響きの町、北九州にいるからだろうか。

ざわつき、喧騒から離れて、ひっそりしたいからなのだろうか。

 

玄関口のお土産やさんが出迎えてくれる。

鄙びた景色に心和む。

ここの温泉宿の特徴は、やっているのかやっていないのかわからない旅館が多いことだ。

営業しているふうだが営業していない、

営業してなさそうだけど、営業している、

廃業した旅館に見えて、玄関に家族連れの靴がたくさん並んでたり、よくわからない宿がざっと半分くらいありそう。

どこぞの居酒屋のように「はりきって営業中」の看板出す店などひとつもなく、どこまでもひっそりこっそり感が漂う。

 

こじんまり、コンパクトにひっそり身を寄せ合っている湯治宿

 

車1台がやっと通るメインストリート。

歴史ある温泉街ほど、通りは狭い。

 

なだらかな山々。

山里の静粛。物音ひとつしない。

静けさの中、川のせせらぎが心地よい。

 

早朝、雪が舞い始めた。

センター試験が行われたこの日は寒波で広島や山口でも積雪があって会場は混乱したが、私はこの雪を温泉街の佇まいを引き立てる格好の演出として嬉しくなっていた。

 

愛嬌のあるだいこくさまか玄関で豪快に笑う。

 

湯治客をなごませる、ねこにゃんとお猿たち。

 

三猿まんじゅうは朝早くからおじいさんが手作りしている。

 

よけいなひとことの多い私への戒めは特に手で口を押えている真ん中のお猿さん。

 

ずっとずっと昔から変わらない箱と包紙が伝統を守る。

 

「白猿の湯」の庭園。

寒くないか?

温泉であったまりなよ!

 

ひょうきんで遊び心たっぷりの箸置きをひとつひとつ手に取って楽しむ。

食事が楽しくなる。

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2017 新年あけましておめでとうございます。

本年7月に定年退職を迎えます。

長きにわたってお疲れさまでした。

定年後はまず、しばらくぶらり旅を楽しみます。

週末や祭日の混雑する時期をはずして動けることがなによりうれしい。

車の買い替え時期に合わせて、ワンボックス車を購入し、

テーブルとベッド、電源の3つだけカスタマイズしたキャンピングカー、

これを自分へのご褒美としたいと思ってます。

そして、日本中の景色や歴史、風土、人々の暮らしなどをこのサイトで

ご紹介するつもりです。

もし、よければご覧ください。

1月1日(日) 
1月2日(月)AM2発 広島へ
1月3日(火)小倉着
1月4日(水)
1月5日(木)
1月6日(金)
1月7日(土)別府へ
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津久見市 Hatabo Slider Revolution1

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神ってる!霊峰富士

2016年12月23日午後1時の御殿場から箱根に向かう峠からの眺め。

年賀状に最適と思ったけれどすでに前日に投函してしまった。

この方角からだと南側からの眺めと違って、大沢崩れも気にならず、シンメトリーの円錐形が美しい。

周囲に余計なものがないことが富士さんの優美さをきわだたせている。

孤高。景観の邪魔になる山々、鉄塔、ビル、電柱、看板、落書き、空き缶、、、がない。

さっそく、i-phone7の新機能である望遠ズームで山頂付近に近づく。

雪でのお化粧ののりもよさそう。

いかにも清く正しく健康そうでうれしくなる。

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「斜坑」筑豊 田川伊田の本格蕎麦

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東京から八ヶ岳に足しげく通い詰めて信州の蕎麦に心酔していたおやじにとって、九州はうどん文化圏であり、蕎麦文化の不毛地帯であると映っていた。
事実、単身生活3年半、地元のおいしい蕎麦屋を紹介されても、おやじを満足させる店に出会ったこともなく、仕方ない、求めるほうが悪いと自分に言い聞かせていた。
この田川の「斜抗」に出会うまでは。

まず、東京目白にあった高橋名人の店で南アルプス北杜市に移転した人気店「翁(おきな)」の、喉越しと風味、そしてキレのいい(どこぞのビールみたいだが)お蕎麦に通じると感じた。
これが、正統派本格蕎麦である。

大げさではあるが、蕎麦打ちにはその道を極めようとする孤高の求道者の魂が必要である。修行者のもつ張りつめた緊張感。

粉に水を含ませるときの水の量をその日の湿度も加味し加減し、指先を立ててすばやくこね鉢に水を回す。毛糸くずのようにころころになった小さな塊を集めて早し最上川、空気を抜きながら円錐状に成型して、手のひらで押しつぶして分厚いピザの生地のようにする。そして、麺棒をあやつり縦に横にしながらのしていく。けっこう疲れる。均一な厚さの正方形、ないし長方形にのして四つ折りにする。

ここからは、打ち粉をさーっと振って蕎麦がくっつかないようにしながら、麺切り包丁でこれまた均一な幅にリズムよく切っていく。

切った後、包丁を右に寝かせて切り離していくのは刺身と同じ要領。

私のようなしろうとは一度に4人前がせいぜい。蕎麦をいただくときはあっという間だが、これだけの気合と作業が込められている蕎麦は1人前1,000円でも仕方ない、と思ったものだ。

一連の工程に共通して大切なのはすばやさ。ぼやぼやしていると乾燥してしまう。乾燥が追いかけてくる。ぼやぼやしない人でないと打てない。決まりはないが、途中お茶したりトイレも許されない。

お店に入ったときに漂う気配、そして殺気、余計なもの一切を排除した質素な空間。

そんな道場の空間には、テレビも、報知新聞も週刊ポストもいらない。申し訳ないが子供たちの楽しそうなはしゃぎ声も。

夫婦お二人で切りもりされているのだろうか。
美しく品のある奥さま(かどうかわからないが)の笑顔と「子供は入店お断り」の張り紙の持つ意味。

池袋の製粉業者「北東製粉」のそば打ち道場で修業まねごとおままごと経験のある私である。
ご主人はどこで修業されたか若いのに大したものだ。

えらそうなこと言っているが、おやじは「東京のソウルフード」ともいえる、立ち食い「富士そば」大好きである。本格的でないのは当然だが、つい入ってしまう。北九州にもぜひ来てもらいたいが、北九には「資さんうどん」という、重鎮がおられ、地元で幅広く支持を得ている。

先日、うどんは博多のやわやわ麺の「因幡うどん」、「大福うどん」、「牧のうどん」のほうがおいしい、ごぼ天うどんなら、鞍手の「仁」がいちばんだ、とうかつにもグループラインに投稿したら、地元民からたちまち集団リンチを受け、簀巻きにされ洞海湾に投げ込まれてしまった。地元のソウルフードを敵に回すとどうなるか身にしみた。

福岡のうどんは、うどんほどやわらかくはなかった。

品川駅の京浜東北線のホームにある「常盤軒」の天ぷらそばも羽田に着いた帰り道におなかがすいてなくても入ってしまう。立ち食いゆえ決して上質のそば粉を使っているわけではないけれど、庶民の味から、頂点に立つこの「斜坑」まで、蕎麦はなんとも不思議な実に奥の深い食べ物である。
もし、こんな蕎麦が打てたなら私も店を出したい。

なんで、筑豊田川の(失礼)団地の一角で、お店を出しているのか不思議だった。
これまで九州の蕎麦がどうのこうの一括りに切り捨てていた自分を愧じた。

お蕎麦のセットには蕎麦雑炊のほか自家製の豆腐、さくさくの天ぷら、なめこ、紅白のかまぼこ、さらにデザートに自家製プリンとコーヒーがついて2,000円とうれしい限り。
2016.12.3

蕎麦雑炊

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